2007年11月 学びの環境
子どもの傑作はまほうの絵ふででつくられるのだ!なんて大きな声でいってみたいものですが、実際、良い作品ができるのであれば、それは別におうちでも、学校でも、近所の公園であってもいいのです。ましてや学びとしてのアートの観点からいえば、ココロの養分になる刺激なら、どんな場所であっても、そこがそのまま学びの場です。その意味でいえばアートはめぐまれているのです。もしこれがフィギュアスケートであったなら、用具を売るひと作るひと、明るい照明も必要でしょうし、氷の施設の維持管理など、色んなひとの努力なしには練習すら始められませんものね。運良く近所に厚い氷の張るみずうみがあったとかじゃないと始められないというのでは、まずスポーツとしての発展が難しくなってしまいますよね。そういえばこんな意見を聞いたことがあります。子どもが始められる球技は、ボールが大きければ大きいほど良いのだそうです。理由は…なくなりにくいから!ひとつのボールで大勢が遊べるならそれに越したことはなく、その方が裾野が広がりやすいんだとか。あと、玉が小さくなればなるほどお金のかかるスポーツなんだそうです。そういわれてみればそうかも!
さて、球技ではないですが、アートもその意味では確かに裾野が広いかも!広場に棒で線を引いても絵は描けますし、朝冷えて曇った窓ガラス、砂浜の足跡、うっすら降り積もった雪…とにかく特別な道具がなくても絵は描けます。ただしそれではすごい傑作でも後には残らないのですけれど…。
アートを学ぶという意味では、理想の環境はどうあるべきなんでしょうか。草木が育つには環境が大事です。日が当たって、適度な水分があって、きちんとした土がある。そのバランスが必要です。たとえば「学校」は「校舎の場所」をさす言葉だと誤解されがちですが、やはり教えるひと、教わるひと、そしてそのひとたちが集まる場所。この三つが集まって学校ですよね。まほうの絵ふでも、教育の場として、教えるひと、教わるひと、そしてそのひとたちが集まる場所、この関係を非常に大切に考えています。そして実はお父さんお母さんも、教えるひとと教わるひとをつなぐ重要な存在です。そして子どもたちには、絵ふでをわくわく楽しみにしてもらえるようがんばっています。わくわくするから、そこから得たことがらを大切にする。先生ががんばっているのが子どもに伝わる。伝わったことに、さらに自分の感じたことを足して投げ返す。それがとなりで見ていた別の子に伝わる。良い刺激は、化学反応みたいに次から次へとまわりに伝わり、自分が感じたことがらのパスを出させる。そんなクリエイティブの連鎖反応がある教室でありたいですね。その場がいきいきと感じられるためには、その中にいる自分がおもしろがるのがいちばんです。おもしろさを探すくふうがあれば、さらに深いところでおもしろがることができます。そしてその先で、スポーツ選手の勝負のような、より厳しくすごい世界を選ぶこともできます。
制作の環境はつくるもの、というのはみんながいう言葉ですが、実は自分もその環境の中に含まれているひとりなんだというのは、わかっているようで見落としがちなことなんです。授業は受けるものだ、と思いきや、実は自分も環境を作り、何かしらの影響をかたち作っているともいえるんですね。なんとなくであってもそれに気づくと、自分の「学び」が変わっていきます。









