2007年6月 「パンがなければ、おかしを」!?
えー、ある日朝起きたら、なんとなくお蕎麦が食べたくなりました、なんとタイミングの良いことに、夏になるにはまだまだ早い良く晴れた日曜日でしたので、しまってあった種をまいて、虫が食べてしまわないよう、ほかの種類の草が養分を吸い取ってしまわないように心配し、秋に刈り取って干して、実をとって、乾燥した実から殻をとって、すりつぶして粉にして、水と混ぜてきちんと練って薄くのし、なるべく細く切ってゆでて、大豆から作っておいたしょうゆのツユをつけて…
すっかり食欲をなくしたというか、最初の「お蕎麦が食べたい」という気持ちを忘れてしまったようなある日、ようやくそれはでき上がります。これはかなり辛いですね。皆で分業するか、粘り強く壮大な趣味人の生き方をつらぬくか、きっぱりあきらめるか。そんな気分になります。
だれですか!「お蕎麦がないならケーキを食べればいいのに」なんていっている人は!
そんなことをいっていると、また小麦とイチゴと牛の小屋をつくるところからお話しを始めますよ!あれ?砂糖も必要だ!
さて至極当たり前のことですが、この情報化社会であっても、パソコンでお蕎麦を作ることはできませんし、作り方を調べてもおなかがいっぱいになることはありません。しかしそれより気になるのが、その便利、手軽、スピードという言葉の影で、モノが育つにはあるスパンの時間が必要だということそのもののリアリティが失われていくことです。教育の世界においても、辛いことをさせない、我慢させない、競争させない、挫折させない……そして、みるみるわかる、かんたん、できる、自信がつく…そんな言葉ばかりが並びます。「やらなければできるようにならない」とか「やった分しか伸びない」「できた分しかわかっていない」などの辛口の言葉は敬遠されるのが実情です。しかし絵ふでは高学年の生徒にこうはっきりということがあります「見たようにしか描けないし、描けているようにしか見えていない」。
ものごとの本質的な理解には時間と経験が必要です。もちろん教える側の励ましや、動機付けが大きく影響しますが、「苦労をさせない」ことと「(目的のための)努力が苦にならない」ことを混同してしまうことは避けたいものです。まして、柔らかく煮たものを、さらにふーふーして、やけどしないようにしてからあーんして食べさせる。というようなことをくり返しておきながら、どうも最近の子どもはたくましさがない。などと責められては、やる気もなくなります。つらいことを無理強いすることを肯定する訳ではないのですが、子どもの全能感(ボクはなんでもできるんだ!)をこわしては積み上げることも、教育のプロセスの中で大切だと思うのです。つまるところ、それがたくましさであり、真の力になるのではないでしょうか。あと蛇足なのですが、曾野綾子さんの著作によれば、貧困と無知が生む最も残念なことは、冒頭の例でいうところの、蒔くべき種子そのものを食べてしまうことなのだそうです。









