2007年4月 アートは教えちゃいけないもの?
私たちより詳しいかたの方が多いと思いますが、基礎教育で大変著名な陰山英男先生というかたがいらっしゃいます。陰山先生がまず手を入れたのは、朝ご飯を食べて登校するなど、生活の型をしっかりつくること。食事のバランスを良くして、頭がしっかり働く、そんな下地をつくること、だったといわれていま す。考えてみれば当然にも思えますが、百ます計算や、音読、暗唱など、反復の効果は、まずそんな「下地」があってのことなのです。もちろん様々な批判 が、先生に浴びせられたといいます。「詰め込み過ぎだ」「競争させるとおかしくなるのでは」
しかし明治大学の齋藤孝先生も反復の学習を評価して「学ぶことは楽しいのですよ。子どもの限界を親が決めるべきではありません」そうおっしゃいます。
さて、私たちは美術教育を通じて、ものを作ることの経験値、考え工夫することの大切さを学んで欲しいと願っています。そして、美術教育に真剣に取り組 んでいる先生方や、最先端で努力するクリエイターの方々から高い評価を受け、たいへん強く褒めていただいています。最も嬉しかったのは、年明けの展覧会 で、それまで面識のなかった著名なグラフィックデザイナーのかたから「自分が今子どもならすぐにでも通いたい。というより(大人である)今通って制作し てみたい」と言っていただいたことでした。
しかし高い評価をいただく反面、実は陰で批判をされていることもあるのだそうです。心配して教えてくださった人いわく「教え過ぎなんでしょう。デッサ ンが小学生にあんなふうに描けるわけないじゃないですか」
…ちがうんです。教えてできるようになることはどんどん教えるべきなんです。昔から教えない人、努力して教え方の工夫をしない人は「絵は教えちゃいけ ない」…そう言うんですね。
もちろん教え過ぎはいけません。おせっかいのしすぎは、自分で考える習慣を奪いますから、きちんと自発的に気づくまで待たなければいけない時もありま す。それは美術教育にかぎらず、どんな学びでも当然のことなのです。しかし、これだけは放っておけないんです、あえて反論させてください。教えてできる ことなんか、たいしたことじゃないんです。
もう一度いいます。「教えてできることなんかたいしたことじゃありません」もったいぶらずにどんどん教えてあげるべきです。
分かったつもりになったり、できるような気になることってたくさんあります。しかしそれと、本当にできるようになろうと努力する大切さを混同している限り、美術なんかになんの意味もありません。ただのわがままな自己満足です。
美術だからって偉そうにもったいぶっていてもだめなんです。
「はい、かつら剥きをしてください。できるかぎり薄くするんですよ。」「針のように細く千切りして下さい」…料理だってことばで教えただけではいつま でもできるようにはならないのではないでしょうか。
つまり、教えてできるということは、本当に基本的なこと、もしくは教えられたその時点で、わかるための理解の準備が済んでいたということなんです。それがむずかしいんです。
現実からも、過去の名作からも、失敗からさえも人は学んでいくべきです。それより問題は、教えてできないこと、ことばで伝えられない経験のほうに隠さ れています。それが大切なんです。フィギュアスケート始めた子どもに「思い切り飛んで3回まわってごらん!」そんなふうに言って偶然3回転半になっ ちゃったなんてことはありませんよ。残念ながら美術の世界だって同じなんです。レベルがあがってきたら、なおさら、自分の考えと自分のできることのギャップをひとつづつ丹念にすりあわせていくことが必要になるんです。伸びるためには、時にはずっと足踏みが必要になります。そこで教える側があわてて 結論を与えてはダメなんです。あたりまえですよね?
結局作品の中でできているということは、理解の幅をそのまま表しているんです。そして、そのわかることとわからないことの「あいだ」の努力のなかに、 教育的な意味が隠されているんですよ。









