2007年1月 未来はじめました

 子どもの頃のこととか、ものごころついた頃のことなど考えるのですが、大人(?)になった自分自身、ほとんど変わらない好みであるとか、ときおり感じ る幼児性などに、驚くこともあります。そう考えると、昔の大人がりっぱだったのか、それとも今の自分が子どもっぽいのか、自問自答して混乱することもしばしばです。
 さて昔の大人はいつ大人になったんでしょう。それとも子どもの頃からそう変わっていないんでしょうか。「今の若いもんは」じゃないですけれど、実は大 人も「子どもっぽいかな」なんて悩んできたのかもしれませんね。しかし…しかしそう考えると驚く事実がここにあることになります。つまり…「あんまりか わらないね!」
 昔から教育関係者は子どもの伸び、成長に腐心してきましたが、もしかするとヒトの本質的な部分はあまり変わらないのかも知れません。かくいう自分も某 大手予備校の関係者からセンター試験の合計点数の一年間の伸びが、平均で20点くらい(つまり一科目につき4~5点!)と聞いて絶句したことがあります。それは一年の努力の結果としては、ほとんど誤差の範囲みたいなものじゃないですか!
 そんな極端なことで考えなくても、将来の日本がどう変わるのか。それとも変わらないのか、そのこたえは今ここにあります。
 今からさかのぼること約10年、1996年10月福島県の中学校に「テストをやったら自殺する」という匿名の電話があったため、「いたずらとも考えら れるが、命の大切さを最優先して延期」(教育委員会の見解)しました。前後して横浜の女子校で「体育祭を中止しなければ自殺する」との匿名の手紙があり、これを中止。
 今期、道東の小学校で給食時、週に一回アニメのビデオを放映することを父兄が問題視するも、学校側は子どもが自主的に決めたこととして継続。親何も言えず。
 つまりこういうことです。朝礼で校長先生のあいさつのあいだ中、おしゃべりがどうしても止められない子どもたちは成人式の会場で再会して、来賓のあい さつのあいだも静かにすることはできません。しかし、自分たちの言うことを学校の先生が聞いてくれないと教育委員会に言いつける子どもたちは、市長や知事のリコールの先頭に立ってくれるかもしれません。 
 ゴミ箱があふれている学校では、20年後、地域のゴミステーションはぐちゃぐちゃです。
 給食のとき食べこぼしを拭くことができない子どもは、大人になってレストランで床に落としたポテトを踏んでも気づきません。
 店員に対して何も言わずに手を出して買い物を終える子どもは、お店でアルバイトをしようとして、なかなかあいさつが言えずにとまどいます。 
 掃除用具がこわれ、トイレの扉ががたがたしている学校では、20年後おなじ地区の公民館の維持管理がお手上げになります。
 朝の地下鉄はさながら化粧室のようです。みんなならんでまつげのチェック。文字通りヒトのことなど眼に入る余地がありません。
 なにより未来の地下鉄で、おじいさんおばあさんになった今の大人は席をゆずってもらえません。これはきついでしょうねー。
 さて2007年!
 ひとに優しく、自分に厳しく、子どもたちにも、ちびっと厳しく。さあできることからはじめましょう!