絵筆新聞

2010年3月 じょうずな子どものほめ方!?

 教育書、雑誌、テレビ…「じょうずな子どものほめ方」なる話題が多い今日このごろです。…ですがほめ方って…そんな方法論はあるはずがないのじゃないでしょうか!だいたいからしてほめてあげようとか、ほめて伸ばそうなんていう、上から目線が気になります。そもそもほめ方といっているその時点で、ホントはそうでもないけど、相手をいい気分にさせて自分の思うようにしたいというヨコシマな気持ちがすでに見え隠れ…していませんか?だいたい子どもって変なとこがめちゃめちゃセンシティブ。そういうヨコシマな気持ちをするどく見逃さなかったりします。それはみなさんがいちばんよくご存知でしょう。
 子どもが一番うれしいのは、子どもも大人も関係ない同じ目線で「くうーっ」と認めざるを得ないほどすごいことを成し遂げた時ではないでしょうか。美術の場合なら、思わず大人もびびるような作品を作っちゃったときも、子どもたちにはその大人のびりびり感がよく伝わっているものです。しかし絵画、特に子どもの絵(+現代美術?)はどこをどうほめていいかがわからんというのが大多数の方の本音ではないでしょうか。最近のNHKの美術番組などでも、いわゆる専門家ではないタレントさんや女優・俳優さんなどに絵を見た時の印象を語らせる場面が多くなりましたが、校長が見ていても、大きくはずしたコメントを言わないように細心の注意を払いながら、それでいて専門家が触れないような気のきいたことを言おうと、なにかヒリヒリした収録の雰囲気を感じて、いたいたしさといいますかドキドキ感を感じることが多くなりました。正直、気が気じゃありません。しかし、そういう状態になることって…ありませんか?「子どもの絵にはほめるところが必ずあります」なんて本も出てるくらいですから、困惑している人も少なからずいらっしゃるんでしょうが…うーん、それってどうなんですか?心の底から言ってるんでしょうかね?やっぱりこれも少なからず上から目線…そう感じるのはワシだけでしょうか。
 そもそも「子どもはほめて育てろ論」って、どこから始まったのでしょう。もちろんほめられて嬉しいのはあったり前。大人だってうれしいぞな、にんげんだもの。(©相田みつを?)でもとってつけたようなほめ方や、ほめときゃ伸びるだろう的な言い方では…まっすぐな人間性そのものが育たないのではないでしょうか?心理学者の河合隼雄先生の言い方をお借りすると、魂のぶつかり合いのような中でこそ、腑に落ちる、真の価値ある教育が生まれるように思えるのです。
 校長は長年美術にどっぷり浸かっていますが、思わぬところでよい作品に出会うことがあります。それは巨匠といわれる人たちの作品であることもあれば、子どもの作品のこともあります。しかし極論すればどちらであってもそれほど変わらないのです。技術面では遥かに差があれど、むむむっと魂に響く「共感」であるのには違いがありません。専門的にいえば、やはり子どもにはそれぞれの発達過程があり、それなりに経験なくして得られないもの、同時に得た分だけ手放さねばならないものもあります。しかし子どもとしてのくくりではなく、こころの表現としての営みを見るだけでも、よいものにはやはりこころに響くものがあるのです。
 しかし…そう聞くと、なおさら評価が難しく、自分たちの日常とかけ離れたものに思えますよね。まず好き嫌いに、本音で向き合うことから始めてみてはいかがでしょう。好き嫌いの情って、子ども大人を問わずすごく伝わりやすいと思うのです。そしてもうひとつ、子どもたちが描いた絵を、同じ経験をするつもりで、描いた順番だけをなぞるようにしてよく見ること。それだけでもずいぶん発見があるものです。
 さて、えふではハンパにはほめません。…って書くとただ厳しいだけのようにも見えますが、逆なのです。自分にないものを見つけたら、その自分の発見に応じてしっかりほめる。つまり…あくまで自己中心的に「容赦なくほめるぞ」ってこと!子どもと接する大人として、それが最大限に相手を同格に認めることだと思うんです。子どもをほめることって、意外にそれ自体が目的化してしまいがちです。しかしそれは注意して避けなければいけないことだと思います。以前ニッポンをほめようキャンペーンというのがあったのですが、「このろくでもない日本をほめよう」「すでにほめてないよオマエ」(©爆笑問題)そんな感じになってしまいますものね。ほめることは義務ではないんですから、こころに響く部分があったら、素直にそのまま伝えたいものです。

2010年2月 柳本浩市×まほうの絵ふで 博士がぼくらに話したこと

 博士こと柳本浩市さん。ワシは未だかつて、こんなに大量の情報を頭の中に入れている人を見たことがない。ウオーキングディクショナリ(歩く辞書)どころか、リビンググーグル(生きるgoogle)なのだ。すごいのは頭の中だけではない。自宅をはじめ、全国6ヶ所にある博士の倉庫には、ガムの包み紙から石器、そして隕石に至るまで世界どころか地球の外から(?!)までも集められた様々なコレクションが収蔵されており、いまだ増殖中なのだという。博士の森羅万象に対しての膨大な知識は日々集められたそれらのモノから分析されている。そんな日本を代表するコレクター、柳本博士が昨年の秋からなぜかワシらのまほうの絵ふでに登場。すごすぎて理解不能なところもないでもないが…年明けに開催した『未来をつくる眼差し』展までの活動の中で、デザイン研究チームはもちろん、一緒に行動したワシらまで、それはそれは様々なことを学んだのであった。今月はそんな博士プロジェクトの全貌をレポートするぞな。

脳内マップの全貌
 会場である大丸藤井セントラル7階。まずエレベーターの扉があいて目に入るのは黒板に描かれた博士入魂の「脳内マップ平面版」。展覧会の案内にもなっているこのマップ、実は博士が子どもたちからの質問を受けながら(!)下書きなしで(!!)約2時間で(!!!)描きあげたものだったのだ。描かれたキーワードは今回のワークショップで子どもに出されたお題と同じもの。しかも関連するものどうし線で結ばれている。この網の目のように入り組んだ地図状の情報。平面で描かれている時点ですでにくらくらするほど複雑。気が遠くなりそうなところをぐっと踏ん張っていよいよ会場へと進むと…おおおお!そこはまさに柳本ワールド!華やかな色と整然とモノが並んだその物量感に圧倒されてしまう。すぐに目に入るのは「柳本博士の脳内マップ立体版」広い会場内の空間に、宙に浮いて並んだキーワード。日を追うごとに赤ん坊の脳神経のごとく繋がりが増えていき、最終日には巨大な網の目状のかたまりに成長!ひとつひとつの繋がりが、来場者が見つけた関係性でできている。子どものためのワークショップだったが、漢字を読むのもやばめのキッズはもちろん、大人も夢中になって繋がりを探したのであった。デザイナーなどその道のプロも嬉々として参加しておった。参加者は天才柳本博士のバッジもゲット。今回の展覧会は来場者の滞在時間が長かった事もポイント。なぜなら見れば見るほど発見があったから。まさに博士のアタマの中は、掘っても掘っても底が見えない。

博士のコレクション
 博士と校長のあいさつ文では、なぜにこの展覧会なのか、教育とデザイン、ものごとを考えることに対しての両者の思いがつづられ、続いて博士のコレクションが整然と並ぶ。「オリンピック」「万博」といったものから「IBM」「コカ・コーラ」そして「ガムの包み紙」「宝くじの券」に至るまで。まさに圧巻!校長のお気に入りは「包装紙」昔の図案の奥ゆかしさ、つつましさというか…しみじみよかったのう。実はこれまで単一カテゴリーのコレクション紹介は博士のもとに多くの依頼があり、雑誌の特集や展覧会の依頼は数知れず。もちろん博士の持ってる物でまかなえるそうなんだけど、今回の眼差し展のように、全貌(のホンの一端、全体の30万分の1くらい?)が紹介されること自体、日本で初めてなのでした。そう言われてみればわざわざ東京から見に来た人がずいぶんいたもんなー。

博士の個人年表
 今回の展覧会で隠れた人気スポットがここ!博士の年表。現在につながる相関関係への興味はここからすでに始まっており、桁外れの行動が羅列されてる。ギャラリートークでも人気大。いわく4歳で「(日本の)おんがくはどうやって生まれたか」という研究に没頭。なんでもラテン語の声帯の本を参考に、日本の音楽における考察までをしたのだというから恐れ入る。現在最先端の研究とされている、最短距離を選ぶという粘菌の行動も、博士に至っては南方熊楠に触発され9歳の自由研究の題材になっている。そのときの時代背景と流行ったもの、そして柳本少年の姿を思い浮かべると、なんだか無性に笑える。圧倒されると人間笑うしかない。

世界のミルクマップ
 世界地図状になった展示で、置いてあるのは世界各国から持ち帰った牛乳の紙パック。もちろんデザインも言語も多種多様。普通はそのままゴミになってしまうものが、博士の考察で言語や宗教そしてデザインの哲学を知るための教材になっている。もちろんイスラム文化圏は羊やヤギのミルクパックになっている。ロシアのマトリョーシカ型など、牛乳パックのイメージも大きく変えざるを得ない。そういえば博士、えふでの帰りに牛乳買って帰ってたもんなー。

消費行動調査隊
 今回子ども達との授業のスタートになった「消費行動調査・店内マップ」と、その「調査メモ」の一部。調査は2日間で約700データ。博士の指導もあり洞察力、仮説の立て方も、最終的には多くの大人を唸らせるレベルに。みんななかなかのマーケッター。博士いわく「企業にとっては数百万の価値がある調査」たしかに企業の重役の方々がうーむと唸って長時間夢中になって解読してました。えへへ。

まとめ
 じっくり読み解くと3〜4時間はあっという間に経ってしまう濃い展覧会でした。柳本少年を想像しながら、これからの教育について考えていただけたと自負しています。あ、実は博士はコレクターではないと公言されておられます。集めるのが目的ではなく、博士の収集には分析と検証が組み込まれています。それこそ蓄積が面となり立体となって体系づけられてゆく。そんな博士の思考の一端に触れたことが、子どもたちの将来にどのように影響するのか、えふで校長は楽しみにしております。

2010年1月 未来をつくる眼差し

 『デザイン界の知の巨人』として、度々この繪筆新聞でも紹介している柳本浩市さん。まほうの絵ふででは10月からジュニア・ラボの子どもたちを対象に、デザイン研究チームというワークショップ活動を実施しています。
 そしてすっかり恒例になったまほうの絵ふでの冬の展覧会、今年はこの柳本浩市さんとえふでの子どもたちによる、観察や調査をテーマとした壮大な展示を予定しています。9月に行ったトークショーの冒頭でもお話しましたが、この柳本博士、ひじょーにわかりにくい方でございます。なぜならスケールが大きすぎる!出てくる数字や視野が、桁違いに大きいのです。世にいわゆるコレクターと呼ばれる人たちはたくさんいますが、柳本博士のようにあらゆるフィールドに切り込んでいる人は珍しいでしょう。そのくらい稀少であり、普段はまずお目にかかれないすごい方です。

10月
 さて、そんな柳本博士と共にスタートしたデザイン研究チーム。冒頭から飛び出したテーマは「オバちゃん観察」。オバちゃん観察とは…柳本博士いわく「人はモノを買うとき、理論的に考えているというより、もっと動物的な部分や無意識の部分で善し悪しを感じ取っているのではないか」そしてその無意識のちからが最も発揮されているのがいわゆるオバちゃんたちである…という深い考察から生まれた概念。それを実際にお店に出向き、ひたすら観察してみるというのです。これを初めて聞いた時にはさすがに驚きました。ひとしきりデザインや教育の話をした後でしたから、最初はジョークかと思っていたのですが、話を聞くうちに論理的な根拠があることが判明。しかも今をときめく若手デザイナーやグッドデザインの弱点を見事に突いた鋭い視点と分かり、ぐうの音も出ませんでした。消費者の立場でものを作る。そこで基礎教育を行っているまほうの絵ふでとしては、この博士の視点にまっすぐ切り込むことにしたのです。
 途中経過はえふでのウェブサイトでレポートを見ていただくとして、実際のスーパーの売り場では、博士の言うとおり様々な「無意識」がありました。理由もなく商品を手にとる。しつこいほど果物の裏を見る。ラベルを凝視する。魚をつつく。パンを手でもてあそぶ…いやあほんとにほんと、それは何のため?と不思議に思えるほど、スーパーマーケットは謎の行為に溢れていました。子どもたちは小さなメモ用紙片手にひたすら買い物客の行動調査。何をどれだけ触ったか、どんなものと比べたか、どこを見ているのか…結果、何を購入したのかまでしっかりと調査メモに記入。そのデータ数は1000枚を越え、博士からは「プロのマーケッターよりすごい」とお褒めの言葉をいただきました。
 さらにただの数字や記号であるデータから、どんな意味を抽出できるか。「値段が第一」「おいしそうなものを選ぼうとしてる」「触ることでパンの味を想像している」などなど、買い物客の視点を掘り下げて考えていきました。加えて、買い物をスムーズにしてもらうため、お店側がしている様々な工夫も見えてくる。日常の買い物をするスーパーマーケットを舞台に、その土地の文化や人間性まで見ていこうというのが博士のすごいところです。

11月
 約1ヶ月後の2回目の授業では、子どもたちに情報のつながりを知らせるため、図書館を舞台にかなり本格的な調べものの授業。博士から問題が書かれたカードが配られました。
 「ロシア・アヴァンギャルド」「コンスタンチン・ブランクーシ」「武満徹」「アーツ&クラフツ」「ポンピドゥセンター」「グスタフ・マーラー」「ウィーン分離派」「白樺派」「ウィリアム・モリス」「松方正義」…大人でも説明を求められると困るくらいのキーワードがずらり。子どもたちはそれが人物なのか、物なのか、社会現象なのか、まったくヒントがない状態からスタートです。図書館に放たれた子どもたちがとった行動はまず図書検索機に向かって走ること。さすがはインターネット世代の子どもたち。しかし「この言葉じゃ出てこない」「本は見つけたけど…わかんない」そう簡単にはこたえが見つかりません。これは博士曰く「ネットにヒットしない情報をいかにリアルフィールドで導き出すのかの訓練」自分が必要とする情報にどのようにしてたどり着くのか。また、知らない単語や概念についても「この辺かな…」と仮説を立てて探すためのトレーニングといえましょう。
 はじめは相当苦戦を強いられましたが、どうにかそれらしい本にたどり着き、要素を書き出す。その結果「よく調べたね」と誉められることもあれば、「これは違うものだね」とばっさり切られることも。そのキーワードについて短く的確な答を求められるのです。例えば人物だと、その経歴を、思想や運動は定義そのものを…なかなかシンプルにまとめることができません。さらに建築物などは「設計したのはだれ?」「特徴は?」と…。結局博士からヒントをもらい、ようやくそれらしい書籍名が出てくる。しかしそこからその本の実物を見つけ出すのもたいへんで、本棚の前で途方に暮れる…そんな姿が多数見られました。聞けば博士は、その子の反応に応じて難易度を細かく調整し、答の要求についても、できるギリギリまで負荷をかけていたのだそうです。その子どもに対する観察力にも脱帽ものでした。みんな「難しい」を連発しながらも、やり終えた時には独特の達成感のある顔つきに。図書館という圧倒的な物理量の中からアナログに情報を見つけ出すという経験は、いつになく刺激的なものだったようです。

展覧会
 なぜ、柳本博士はこれほどまでに情報・データにこだわるのか。1月の展覧会ではそのあたりの謎を解明し、みなさんに新たな世界をお見せできると思います。幼少期から様々なものを収集し続けていた、かなり変わった少年。一般論に流されず、事実にこだわるあまり、まわりの大人たちをも困惑させた天才児。問題の前提そのものを疑うので、学校の先生なんかは相当手こずったことでしょう。しかしながら、この少年こそ今や大企業のアドバイザーとして活躍し、世の様々なブームを巻き起こす恐るべきクリエイターに育ったのです。
 『未来をつくる眼差し』展では、膨大な博士のコレクションとともに、天才の頭の中を模したいわゆる「脳内マップ」の中に入ってみることができます。今回、子どもたちが調べたキーワードが、博士の頭の中でどのように結びつき、影響しあっているのか?
 展示される脳内マップでは複層的に影響しあうその言葉を、実際に立体としてつなぐ行為に参加できます。つまり情報を自分が仲立ちし、つないでいく。それによりさらに理解が深まっていく。そのとき会場の博士のたくさんのコレクションがつながる道筋が見えてくるかもしれません。セントラル7Fで来年1月12日からスタートする『未来をつくる眼差し』展でお会いしましょう!

2009年12月 みんなのしつもん!ワシが答えます

 まほうの絵ふでのウェブサイトでも連載していました、黒やぎ・白やぎの手紙。10月末までにえふでのポストに届いた子どもたちの手紙、全員に返事を書きたいと思いつつも、これまたたいへんな量でしたので…複数寄せられた質問や、なるほどこれは!というメッセージをいくつかピックアップしてお返事書いてみました。ウェブをご覧になっていない方のために、一部この繪筆新聞でも紹介しますね。

Q 前からきになってたんだけど、えふではいつできたんですか?それと、プログラムを考えるのは、校長だけなんですか?(小6・女子)
 まほうの絵ふでのかたちができたのは30年くらい前なんだよ。校長は、小6のきみが生まれる前から校長してたのだ。ふふふ。さて、プログラムは先生たちみんなで考えます。それぞれ気づいたことや、ピンときたことをメモしておくのです。おもしろいのは、それぞれ考える場所がちがうこと。お風呂とかトイレとか歩いてる時とか…ワシはクルマの中が多いかな。実はさらにたいへんなのは、授業に組み立てていく仕事。これだと思っただいじなことを、みんなにわかるように、できるように、なるべくシンプルにしていかなくちゃいけない。道具や材料は何を揃えるのかってのも、すごく大事なことだしね。たぶん他のみんなも不思議だろうけど、ひとつのプログラムができるまでには、すごくたくさんの手間ひまがかかってるんだ。

Q 絵が小さくなっちゃうのはどうすればいいですか。(小6・女子)
 これは、構図のことを言ってるのかな?紙や画面の中で、絵を小さめに描いちゃうってこと?うーん。こっそり外側切っちゃえば?でも誰も気付かないくらい、きれいにまっすぐね。
 むずかしい言い方になるけれど、絵は自分の世界観を表すので、小さな遠慮は絵に出ます。余白にも必ず意味があります。だけど校長は、構図をむりやり直す必要はないと思います。もちろん絵の効果を考えると、構図はいいほうが得だし、訓練や練習で大きくできます。しかしそれは自我とか客観性がしっかりする中学生くらいからでもいいんじゃないかな。えふではよくトレーニング的な言い方をするけど、もちろん絵は自分の表現でもあるわけだから。自分が変わると絵もちゃんと変わるんだ。映画の黒澤明監督は「悪魔のように細心に 天使のように大胆に」なんて言ってます。おもしろいでしょ?

Q どうしてまほうのえふでってゆう、なまえなのかしりたいよ。こうちょうは、いつからワクワクさんをやるのかしりたいよ(年長・女子)
 あれ?!ワシっていつかワクワクさんになるのか?!むむー。しかしワシがワクワクさんになっちゃうと、もとのワクワクさんの仕事がなくなっちゃうであろ?ワシはえふでの校長だからならなくていいのです。
 まほうの絵ふでの由来は…なぞなのだ。ワシは3代目校長なんだけど、実は2代目校長からこっそりその秘密をきいている。しかしだれにも言わないと約束しとるのだ。だからここでは教えられません。それにしてもおかしな名前だよね、まほうの絵ふで。

Q 三びきの子ぶたキャンプに出れなかったので、冬の子ぶたキャンプをやりたいです。それからいつか校長を「ギャフン」と言わせたいです。(小5・男子)
 んあ?ちょ、ちょっと待て待て早まるな。いくら過酷な子ぶたキャンプといえども冬はいのちにかかわるかもしれん。
それにしてもあの子ぶたキャンプ、お父さんたちも「オレにやらせろ!」の勢いでずいぶん注目を集めてたようです。家族版・子ぶたキャンプとかでお父さんたちの活躍も見てみたいのう。お母さんたちも野外料理で責任重大!とかね。
 それから、ワシをギャフンと言わせたい?…なるほどな。むふふふ実力はまだまだだの。ワシを倒してから行け!

Q カブトムシの色はどうやって作るのですか(小1・男子)
 うむ!これまたいい質問だね。カブトムシってのは…カブトムシ色なのだ。キツネはきつね色。ゾウはぞう色。トラはとら色…って、あ?あれは柄だな。
 でもさ、そら色の絵の具を塗っても、空の感じは出ないでしょ。時間帯や季節によって色がちがうし、白っぽかったり青っぽかったり、いろいろ変わるよね。ということは、カブトムシのあの赤いような、黒いような、茶色いような…なんともいえない色は、自分で工夫するしかないってことだ。きみが見たカブトムシはどんな色してた?絵の具の箱にどんなにたくさん色がならんでても、きっとぴったりの色はないだろ?だってカブトムシも角度によって見え方変わるもんな。あれこれいろんな色混ぜて、きみのカブトムシ色を研究してみてごらん。

Q こうちょうの、すきなあそびは、なんですか。(小2・女子)
 ワシの好きなあそびは、犬ひも。吉田さんていうひとが考えた、犬にひもをつけて一緒に歩くあそび。
 あとはね、動くものに乗ること。エンジンでもモーターでも動くものなら、なんでも好き。芝生をかる機械でも好き。ガソリンがなくなるまでいつまででも乗ってられます。あそびって、楽しくてやめられないよね。

Q 中学校の部活(美術部)とまほうの絵ふでとのちがいは?(小6・女子)
 中学の部活ということはアートラボとの違いということだよね。
 えふでのラボは研究室を表す「lavoratory」のラボなのです。「lavatory」は飛行機のトイレとかですからちがいます。
 で、ラボは大学の基礎造形という授業をひとつの目標としています。基礎造形というのは美術大学などで、自分の専攻以外のことについて学ぶ…図工の超ハイレベル版なのです。ですから上手くなることも大切ですが、それより美術を通して、しくみや人のこころについて考えるのがねらいです。このあいだのラボなんか抽象表現主義の授業でロスコ実物大で模写すんだもの…あーた、ある意味美大よりも専門的ですよ。さて、美術部についてのアドバイスなのですが、これは学校によってずいぶん違うようです。ですからまずは美術室をのぞいてごらん。絵の具なんかがたくさんついていて歴史を感じるのはいいけれど、不潔だったり雑然としているのは論外。あまり近寄るでない。ヘタがうつります。場所というのは使う人の美意識があらわれるもの。そんなことも気にしてみるがよいですよ。

Q ごーごちゃんは何ですか?(小6・男子)
 生き物です。

Q 絵とかは、どうしたらうまくかけるんですか。(小3・女子)
 おおっ!ど真ん中の質問。絵とかっていうくくりかたがいいね。
 昔から校長は絵や美術についてわからないときは、他のことに当てはめて考えてきました。たとえば野球ならどうだろう?上手くなる秘訣ってなにかな。運動では基礎体力がある方がいいけど、絵で体力に相当するものはなんだろう?練習試合って、美術の世界でいうとなんだろう?ってね。
 そうするとうまくなるためにはどうしたらいいかってことを、誰も具体的に言ってくれてないんじゃないか…っていう気がしてきました。一部では「うまく描いちゃいけない」なんて言う人もいます。それってなんかへんだよね?
 野球の世界ではただむやみに素振りをしてもダメで、それはただの筋トレなんだって。ピッチャーは誰で、これは3球目、きっと変化球を投げてくるぞ…そんなことをリアルに考えてバットを振ることを「素振り」っていうそうな。
 校長からひとつアドバイスをするとすれば、たくさん描くこと。当たりまえだけど、ほんとにたくさん描いてる人ってそんなにいないんだ。あとは、必ず目的やねらいを持って描く。そしてそのとき考えたことを覚えておく。覚えられないのならノートに書く。かんたんだけど、みんななかなかしてないんだよ。

校長総括
 いやー子どもからの手紙たくさん来ました!なかみを読んで、校長はじめスタッフ一同感激しまくりでした。なにより子どもの質問がまっすぐで良かった。紙面やウェブで答えられたのはその一部ですが、子どもの、美術に対する愛情・リスペクトが感じられました。さらに質問の内容も本質的なものが多く、大人でもモヤモヤしたままなかなか聞けないようなこともたくさんありました。代表してワシが答えましたが、スタッフ全員あらためて子どもの目線から学ぶ部分も多く、この企画が、多くの方に違う目線で美術をとらえていただくきっかけになったとしたらなおうれしいです。いつも考えるのですが、指導は「翻訳」です。対象が子どもだからこそ、本質的で、なおかつ知の欲求に応えられるよう、上から目線にならず、こちらも謙虚な姿勢でありたいと考えています。さて、親御さんからのうれしいメッセージも多くいただいて感激しました。お父さんお母さんからの質問につきましても、何らかのかたちでお返事をしたいと考えています。このお手紙の企画ぜひぜひまたやりましょう。これからの季節、道路状況なども何かとたいへんですが気をつけて。

よりたくさんの質問はこちらからどうぞ
→「子どもから来た手紙」

2009年11月 みんなのコーラス

「すばらしい作品でした。優しい雰囲気が出ており、見ていて心地よくなります。画面各部のバランスがとてもいいですね。ですが、やわらかく表現しようと注意しているのはわかるのですが、残念ながら描写がはっきりしなくなるところがあり形態を理解しにくくなっていました。明度の高い色がかたく響くところがあるので注意しましょう。仕上げの表現には勢いがあるのですが、少し表現が荒っぽくなるところがありました。気をつけるともっとよくなるでしょう。」
 …もしも校長が子どもの絵に対してこういう講評をしたら複雑な気持ちですか?やっぱりいや?ついていけないなあと感じますか?
 ふふふふ、実はですね…これはNHK全国学校音楽コンクール出場校、小学校の部の演奏に対する合唱指揮者(たしか清水先生)の講評を、ちょっとそれらしく美術っぽく言い換えたものなんです。NHKラジオ「みんなのコーラス」を聞きながらの、うろ覚えのメモ書きからで申し訳ないのですが、実際はこんな感じなのでした。
「すばらしい演奏でした。優しい雰囲気が出ており、聞いていて心地よくなります。各パートのバランスがとてもいいですね。ですが、やわらかく表現しようと注意しているのはわかるのですが、残念ながら発音がはっきりしなくなるところがあり聞き取りにくくなっていました。ソプラノの高音がかたく響くところがあるので注意しましょう。終盤の表現には勢いがあるのですが、少し表現が荒っぽくなるところがありました。気をつけるともっとよくなるでしょう。」
 一連の講評の最初には、曲についての聞きどころや作曲者の意図についてのひとことがあって、それからいいところをほめて…と続きます。しかし「ですが(!)」とか、「残念なのは(!)」などのことばに続いてモーレツに具体的、それでいてめちゃくちゃ辛辣な講評が続きます。どっひー!さっすが全国大会。もともとは、つけっぱなしのラジオから聞こえてきた「みんなのコーラス」。へーなんて聞いていて講評が始まり、どうせすばらしいとかほめちぎるんだろうなんて考えていたら…根底からひっくり返されたのでした。具体的でわかりやすく、それでいて厳しい言葉の数々。根底には音楽に対する愛情があるのがはっきりわかります。子どもの可能性に対して、研鑽と献身を求める態度に、迷いや甘え、おもねりはいっさいありません。校長は、この清水先生をはじめとする「みんなのコーラス」講評陣のファンなのです。そして驚くべきはこういう講評が機能しているということ。つまり、この放送に出ている各学校の合唱指導の先生も子どもたちも、少なくともこのレベルで努力し、評価されているということなのです。実際に校長はいろんなかたに話すのですが、美術の指導には昔から根強く「教えてはいけない」という信仰(?)があるのです。確かに、ある意味、頷けるところもなくはないのですが、校長的には創造性や探究心に対する考えかた、とらえかたの相違から生まれる誤解なのではないかと思うのです。といいますか…えらい方々から叱られることを覚悟して言うならば…その「教えてはいけない」という考えの何割かには、指導の結果からの責任逃れ・努力の放棄・指導力のなさについての問題のすり替えが含まれているようです。(あー言っちゃった。)いつもに増してきついことを書くのは、やはり、美術が尊敬されない原因を、美術の指導者が作っているのではないかという疑問や反省があるからなんですね。そりゃあ「こどもはいじっちゃいけない」とか「自ら学ぶことが大切」とかだけ言っていられるなら気楽でいいのですが、正直言って美術以外でそんなこと言ってる業界がありますか?逆にそういう言いかたをしている、せざるを得ない業界は、もっとずっと厳しいのではないでしょうかね。能や狂言、雅楽とか、神社仏閣の棟梁とかのように「見て盗め」という厳しさがあるならわかりますが、美術教育はもっとずっとぬるいです。一部には美術家・ヤノベケンジ氏率いる京都造形芸術大学の『ウルトラファクトリー』など、すさまじくスパルタを売りにしているところも出てきていますが、やはりこの方向は圧倒的に少数です。美術はそういった自由なものであって欲しいという期待があるのもわかっているつもりではあるのですが、同じような年齢の子どもでありながら、美術以外なら、もっともっと具体的に努力している分野がたくさんある、というのが事実です。
 …ということを「みんなのコーラス」聞くたびに考えさせられるんですよ。美術はどうあるべきなんだろうって。入り口は広く、夢は大きく。しかしそこから真剣に学ぶに値するものでないと、いつまでたってもマイナーなものでしかないですよね。やはり学ぶことには手ごたえがいります。気を付けないと、味見して、とりわけて、ふーふーして、あーんして食べさせていながら、いつまでもひ弱で困るなんて言ったりしがちです。うーむ、図太くいきましょう!

2009年10月 緊急特集 えふでジュニアが今、熱い!?

まずは拝見!今期の作品
 『ワシのチャーリー』はパーツのつながりをしっかりと描けているのがよくわかります。バランスこそ多少くずれていますが、観察力とともに、理解力の高さも感じます。下描きなし、ペンで一発描きですので、ほどよい緊張感も。
 アメリカ・ドル札作品は、平面モチーフをそのまま紙に描く制作ですので比較的易しい。ただし密度が高い!この雰囲気は描画密度の高さゆえ。お札ならではの袋文字や植物的な装飾をひたすら描き込むというプログラムでした。でもよく見ると、興味のある部分とない部分に差が見受けられるのがオモシロい。
 パインの絵も細部の描写を徹底することで、全体の雰囲気を出しています。3次元の空間認知に対してはまだ客観性がなく、回り込みの描写や葉の重なりなどはやはりまだまだ子ども表現。しかし面倒になりがちなごちゃごちゃした部分まで、粘り強く見て描く力がついてきています。
 浮世絵の模写は、日本画ならではの平面的な表現。比較的はっきりとした図版です。こう並べて見ると案外、形のちがいも目立つのですが、顔や手の表情には強いこだわりが感じられます。
 さて、ジュニアは今年度4月から授業時間が長くなりました。実は自転車の絵、浮世絵の模写など、以前90分授業だった時期には2週分の時間をかけて同じプログラムを組んでいました。思い起こすと、その時期の作品は今よりもはるかに「子ども絵」で、技術的にもつたない作品が多かった…もしたったの30分の延長で、ここまで作品が変わるのだとしたら…いやいや、他にも理由があるはずです。この質の向上、伸びっぷりは、単なる時間延長だけでは説明がつきません。違う観点からもジュニアを分析してみましょう。

授業の流れと集中力の波は?

 上のグラフは授業中の集中力の高さを表したものです。いずれの授業でも意図的に組んでいる流れですが、授業の半ばにある後半への導入・レクチャーをはさみ、子どもたちは大半の時間を高い集中力で取り組んでいる。通常、子どもの1時間の授業のうち、ほんとに集中して取り組むのは15分〜20分程度ですから、これはかなりすごい。

学年と男女の比率は?

 学年分布はだいたいまんべんなく広がっているようですが、数字的に多いのは小四でした。指導内容は高学年に合わせることが多いので、上の子たちが下の子たちを引っ張っている図式が浮かび上がります。そして男女比では圧倒的に女子が多い。伸びる生徒を見ていると意外と男子向きのジャンルでは?と思うのですが、美術系の高校・大学でも圧倒的に女子が多いようです。

えふで暦は何年なのか?

 2〜3年目の子どもたちの中でも、内訳を見ると3年目・4年目以上の子どもたちのほとんどはキッズコース出身。一方、始めて1〜2年目の子どもたちもよくがんばっている!難易度の高い授業も当然のものとして取り組んでいるのでしょうか。

なぜジュニアの力が伸びたか?
 まず第一にイスの高さなどを見直し制作環境を良くしたことがあげられるでしょう。これによりキッズからの持ち上がり組が、体格的なものからくる制作のハンデから解放されているようです。実際3〜4年生が高学年の生徒に伍した良い取り組みをしており、課題の難易度の全体な底上げに貢献しています。制作面では制作経験を通して核のある思考の組み立てをねらいとして求めています。目に付きやすいかたちや空間認知の正確さはさほど強く求めてはいないのです。これはその子の成長とともに変化する自我や客観性の確立を待ち長いスパンで考える必要がありますので…そのため細部から雰囲気を高めていくこと、しくみや構造の理解力など、全体として粘り強く取り組むことを求めているのでございます。さてこれがジュニア急成長の謎の総括でございますが、いかがでしょうか。現在1番良いと思うのは集中力。一般的な図画工作の授業と比較してもこうはできないレベルです。えふでは常々こう言ってきました。「子どもの楽しさには2つある。ひとつはうっきゃーと楽しさ爆発。もうひとつは何も話さず、顔真っ赤。ご飯に呼んでも気付かない。」その意味で大変バランスのよいクラスです。このあとの課題は…率直に言って社会性でしょうか!その辺が理解力や客観性にもじわじわと影響する…というのは、大人はよくおわかりでしょう。さらに目的から手段を考える柔軟性が加われば、なお良し。アートで子どもの総合力が高まるように…やっぱり今後もビシバシいくぜ!

2009年9月 夏の特別アートプログラム 三匹のこぶたキャンプ 8月3日(月)ー4日(火) REPORT

 ご存知の方には有名ですが、物語『三匹のこぶた』ってけっこうハードなお話なんですよね。今回、えふでの子どもたちも悪戦苦闘の末なんとかじょうぶなテントをつくり、全員無事文明社会に戻って参りました。
 今回のコンセプトは「言うとやるでは大違い」です。ルールはコラムの中にありますが、与えられた材料/素材/道具だけを用いて制作するという、いわゆる機能主義的な考え方。自由に考え、好きなように作るということではなく、限定されたものの中から目的に沿った最大の効果を生み出すことがねらいです。また模型によるプランニングであったり、トラブルを想定した計画など、今回のキャンプでは初日のこぶたミーティングから、建築的なアプローチで、チームごとの協力であったり工夫であったり、最終目標に進むための各個人の献身(おおげさ?)が問われていました。ですからこぶたミーティング時に作った模型もただの工作ではなく、部材はそれぞれ正確に10分の1の縮尺になった建築模型的なもの。10分の1の自分人形(?)も制作し、イマジネーションを駆使してどう建てるか、工程表まで作りました。実はこのミーティングの素材発表のとき、校長的に「勘がよければ気付くかもしれない」程度のヒントをちりばめておいたのですが、テントをつくることと食事をつくることを別々なものとして考えていた子どもたちには、その時点ではあまり重要なものとは映らなかったようです。例をあげると…竹→太さは2種類。(実はちょうど差し込める太さ!)のこぎりで切って金づちで割れば薪のかわりにも(そのままでははじけて爆竹に!)縄→ほぐせばたき付けのかわりになどなど。
 課題も明らかになりました。①現場での発想の展開にもう少し自由度があるとよい(設計の変更/立地条件の利用など)②全員制作経験も豊富で、用具を利用する能力は同年代の子どもに対しズバ抜けているが、逆に目的から発想して自ら用具をつくったり、本来とは別の用途に使うことがなかなかできなかった(火をつけたい→どう風をおこすか/テントの支柱の固定ができない→固定のための道具・用具を作るなど)さて、現場で校長はこんな話を思い出していました。「日本ではホームレスがコンビニから同じ段ボールをもらってきて、模様までそろえていた。しかしアフリカの小屋の柱の建て方にはどうしても秩序が見いだせなかった。もしかするとアフリカではITなどロジカルな産業が育つのが難しいかも」やや極端ではありますが作家の曾野綾子さんの意見です。今回はとりあえず寝られればよい…という部分もあったはずですが、子どもたちからはできるかぎり「美しく」つくろうと努力している部分が見受けられ、やはり美というのは整合性であり文化なのだなあとしみじみ見ていました。
 今回は場所、気温・天候、参加メンバーの年齢構成などすべてにおいて様々な偶然も重なりこれ以上ないというくらい特別なアートプログラムになりました。自画自賛ぽくなりますが、努力すべき方向が明快なとてもえふでらしいプログラムであったと思っています。しかしこの実現もやはりえふでを信頼して預けて下さった親御さんの協力があってのものでした。応援して下さった方、関わったみなさまありがとうございました。写真を含めた細かな情報はウェブ上にもレポートが載っています。こちらもどうぞ。

2009年8月 フラワー flower 2008.7.5(日) 札幌市モエレ沼公園

 咲いた!みんなの力でモエレ山に大きな大きな花の絵が立ち上がりました。2009年7月5日、モエレ沼公園で行なったワークショップ「フラワー」。始まりは小さな写真からでした。
 ほぼ一年前に行なったワークショップ「ツリー」の後、大塚いちおさんとは制作について、美術教育について、なにかと相談を持ちかけていたのです。えふでの教育方針に対しての共感から、しゃしんのなぞ展にむけての特別授業に先生として参加してくださったのも記憶に新しいところです。どちらからともなく「また何かやりたいですねー」と、打ち合わせとも雑談ともつかないお話しを重ねる中で、場所の候補としてモエレ沼公園が上がって来ました。イサムノグチさん設計のこの公園は、日本中から高い評価を受けていますから、いちおさんにとっても手ごたえがあるのではと考えての提案でした。あの手芸部部長もあの植原王子も駆け上がって、見た目のかわいらしさと、実際の大きさとのギャップに驚いたんですよ…そんな話をするうちに、そのモエレ山の写真に、いちおさんがさらさらと直接(!)描いた小さなフラワー。「山にこんな花が咲いてるといいよね」のことばにびびるえふでチーム!「ですからその山ほんとうにでかいっすよ!」「見てると遠近感おかしくなってくるんですって」…まてよ?ということは…しばし沈黙。やろうやりましょうやって見よう!と、なったのです。
 そこからは公園との打ち合わせ、見る場所と貼る(?)場所との視点の設定、建築のツマックデザインさんに遠近感の補正のためのデータをおねがいし…と、どとーのごとく進めて来ました。いちおさんとゆかりの深い、NHK「みいつけた!」チームの取材も決まり、あとは…えふでの親子がどこまでがんばれるか! 打ち合わせや下見の時から比べてどんどん伸びた草!急な斜面!過酷な条件てんこ盛り。えふでの生徒は4歳年中からですが、下に兄弟もいるので参加は2~3歳児もいる!つーか画面は20×70メートル!そんな広い面積子どもが塗れるのか?天候は?風が出たとき、子どもはシートを押さえていられるのか?うーん、考えるほどに心配続出!しかーし一番心配になったのは…当日モエレをはじめて見たいちおさんのひとこと「うわっ!山でかすぎ!」えふでチーム絶句(笑)。とはいえ、これまでプールやツリー、はては巨大バルーンにさえもチャレンジして来たえふでですから、勝算はある!と信じていました。
 当日のがんばりについては、ぜひえふでウェブを訪問して下さい。「フラワー」制作記がアップされています。小さな子どもたちもすごいがんばりを見せましたが、今回奮闘してくれたのはアートラボの中高生チーム。さすがに鍛えられたラボの、さらに志願者ということもあり、無線のインカム装着でがんばってくれました。うーん、まさに自画自賛だけど、大塚いちおさんとの「フラワー」これはさすがに日本一じゃねー?

2009年7月 flower 7月5日(日)札幌市モエレ沼公園 

 打ち合わせを兼ねて、イラストレーターの大塚いちおさんと一緒にごはんを食べていた時のこと。
大塚「若いイラストレーターが僕のとこに作品持ち込んで『絵を見てください』って言うことあるんだよね」
校長「ふんふん」
大塚「そしたらさ、んー、どうしようかなーとか思いながらも、ついついアドバイスしちゃうんだよね」
校長「へー、どんなこと言うんですか」
大塚「やっぱりひたすら描くだけなんだよって。自分の好みの物でいいから延々と数を描いたらいいですよって」
校長「なるほど」
大塚「でもね、カッキー(柿木原政広さん)とよく言うんだけどね、意外とみんなやらないよねって(笑)ほら、こっちとしてはさ、『やば!今のこれ、ほんとのこと言っちゃった!一番大切なこと教えちゃった!』って思ってるんだけど」
校長(笑)
大塚「『わかりました!』『やってみます!』とか言って帰るからさ、こっちとしてはやっべー、俺らの仕事なくなるかも、言い過ぎちゃったとか思ってるんだけど」
校長(爆笑)
大塚「全然やんないの。なんだろうね、あれ。その時は『答がわかった!』みたいな顔してやる気満々になって帰るのに。」
 いちおさんの話にはいつも感心します。頭ではわかってるつもりでも実際には努力をしない。みんなそこをスルーしちゃってチャンスを逃す、と。んー。たしかにそういうことってある。わかってはいてもなかなかできないこと。やろうとしても挫折してしまうこと。き、厳しいのう…しかし!えふではできる努力をあたりまえにがんばるのだ!一度やると言っちゃったからにはえふでに二言はない。たいへんでも…大きくても…やるったらやるのだ!
 さて教室やウェブサイトでもお知らせしています「フラワー」。これは大塚いちおさんとこの夏7月5日に行なうワークショップ。モエレ沼公園にえふでの子どもたちと一緒に花の絵を描こうと考えています。が…しかしそのかわいらしいビジュアルからは誰も想像できないかもしれませんが、これ実はえふで過去最大のおっそろしい企画、なのです。これまでえふでは数々の「大きなモノ」のワークショップを行なって来ました。太さ5m、長さ20mの巨大鉛筆(…型バルーン!)を作って宙に浮かせたり、4レーン、幅8mの25mプール(実物大のプールの絵!)を描いたり。去年は20m×30mの中に描いた大塚いちおさんの絵を、4〇〇〇コマ分写真を撮って、ムービーにして発表しました。そうなんです。作品が大きなものになると、だんだん絵を描くということから、絵のなかに入ったり、絵のなかの登場人物になってしまったりするのです。モエレ沼公園に行ったことはありますか?あの公園は広すぎて遠近感おかしくなったりしすよね。すぐそこにあるように見えるあの正面にそびえ立つモエレ山も、のぼってものぼっても斜面の角度がきつくなるだけで、ぜんぜん頂上が近づいてこなかったり。今回はそんな、大きいんだか小さいんだか、遠いんだか近いんだか…めまいでくらくら足元ぐらぐらという、不思議な絵にしたいのです。
 「札幌で何か楽しくやりたいねー」と言った大塚いちおさんにモエレ沼公園の写真を見せたとき、さらさらと描いてくださったお花の絵。「いちおさん、その山ぱっと見は小さく見えるけどすごく大きいんですよ」「んん?ということは…」さすがすごいイラストレーター!たったのひと言からのイマジネーションの広げ方がハンパじゃない。小さく見えるそのお花が実は…、いやいやここから先は当日のお楽しみにしましょう。そんな「大塚いちおさん+モエレ山+えふで」でイマジネーションと発想の飛躍がどんなところに着地するのか?おまけと言うか、ごほうびというのか、いろんな方々にも、ちゃんとしたかたちで見ていただくことができそうで、そこも楽しみなのです。
 そんでもって時はすっかり21世紀。いよいよえふでも今回からメールによる申込にチャレンジしましたがいかがでしたでしょうか。雨天延期(雨などの場合は一週あとの7月18日に順延します)などのお知らせもメールでできるということで、超ハイテク気分。先着60組の親子ということで余裕ありそう…と思いきや受付初日からものすっごい勢いで申込が。定員になりましたらキャンセル待ちとして登録いたしますのでご了承ください。
 そしてお父さん・お母さんに覚悟していただきたいことがひとつ。制作は…かなりたいへんそう。特に小さい子どもたちは着替えが必須アイテム。なぜなら今回の制作はかなり汚れるから!いろんな意味で親にも子どもにも覚悟がいる制作なのです。決してオシャレ風なお出かけ着では参加しないでくださいね。スニーカーも必要ですが、もしあればビーチサンダルなどがあると便利かも。作品が大きいもんだから、足元まで心配…。外で行なうワークショップっていうのはただでさえ体力使いますから、動きやすい服装で参加してください。
 ぬうぅ、さいごにもう一度…「えふでに二言はない!」ワシもがんばる、みんなもがんばれ!

2009年6月 子どものためのワークショップ 絵と音楽のあいだ

 とうとう実現してしまったD-BROS植原亮輔さんと渡邉良重さんのワークショップ。おふたりの仕事のすばらしさを目の当たりにするたびに、いつかえふでの子どもたちとワークショップをしていただきたいと願って来ましたが、いざ実現すると、ちょっぴりの寂しさも感じてしまいました。ああ、いつか終わっちゃう…的な…。本当にこのままずっと授業が続けばいいのにという気持ちになってしまう、日本中のひとが羨む特別なワークショップでした。参加した子どもたちの得たもの、こころに残ったものを今すぐに見ることはできませんが、この先いつの日か新たなクリエイションとして芽が出るような気がします。
 今回、5月3日に行なったのは、D-BROSのお二人とゆかりの深い音楽家・阿部海太郎さんとの3人による「絵と音楽のあいだ」という特別授業です。えふでは子どものためのアートスクールですから、デザイナーの仕事に対する厳しさについては、きちんと理解しているつもりでしたが、海太郎さんのような目覚ましい活躍をしている音楽家にお話を詳しくうかがう機会を持つのも初めてで、ゲストにお呼びするのをたいへん楽しみにしていました。早い時期の打ち合わせの席でも、海太郎さんは「音楽は鑑賞にもある程度の訓練が必要なんです」とおっしゃっていました。実はこの言葉をいただく前から、音楽を題材としたワークショップを行なうのだから、安易なものではなく音楽の魅力をしっかり伝えることができるものにしたい、またD-BROSのお二人も関わるのだから、同じように美術のもつ魅力やすばらしさをもしっかり伝えられるものにしたいと考え、ただ楽しそうな雰囲気に流れること無く、作り手としての喜びや厳しさをどのように考えているのかについても、子どもたちに直に伝えたいとリクエストしました。モエレ沼のガラスのピラミッドで行なわれたこの講座の内容は、絵と音楽とをつなぐもの。音楽によってイメージを膨らませ、5種類の楽器一つひとつの音のイメージを、植原さんと良重さんが決めたフォーマットに落とし込んでいくというものです。参加する生徒の年齢も小学校2年生から高校生までと幅が広く、一歩間違えると、抽象的な難しいものになってしまう懸念もありました。結果としてすばらしいクオリティのワークショップになりましたが、それを支えたのはD-BROSの植原さんと良重さんが持つ、感覚を言語や作品などのかたちにして翻訳するちからであり、音楽家の海太郎さんが合わせ持つ、類い稀なる表現力と優しさでしょう。そして3人とも人間的な魅力という点で共通しています。
 まず授業は、講堂の中での3人の紹介に始まり、デザインの仕事についてのレクチュアを植原さんと良重さんから。演奏や音楽についてのレクチュアを海太郎さんにお願いしました。みんなの緊張が少し解けたところで、40種類ほど並んだいろいろなパターン(模様)から海太郎さんが選んだ一枚に、海太郎さんが楽器を使って音をつけます。どの模様からイメージしたのかをみんなで当てたりしていきます。ひとつの正解というより、音楽家である海太郎さんが、色やかたちのどんなところに音のイメージを重ねているのかを考えるきっかけにしていきました。順番を逆にしたりして、海太郎さんならどんな音をイメージするのか、自分ならどんなかたちにするかなど、子どものイマジネーションも少しづつ膨らんでいきます。
 午後はガラスのピラミッドの中心へ移動し、いよいよ制作に入ります。題材はこの日のために阿部海太郎さんが作って下さった曲『3rd May Quintet(5月3日の五重奏)』の5つの楽器の一種類づつの音だけを繰り返しくりかえし聞きながら、植原さんと良重さんが選んでくれた用紙(単語帳形式だったり、ノート形式だったり、マルや四角の厚紙だったり楽器のイメージで選ばれたフォーマットです)に子どもが自分で選んだ画材で自由に描いていきます。このフォーマットの規定(しばり)と自分の想像で描く自由度の設定がまず本当に素晴らしかった。苦戦したところもありましたが、最終的にはできた絵が木箱の中に標本のように並べられていきました。中央には曲の入ったCDが納められています。音楽関係者の感想を伺う機会もあったのですが「ひとつひとつの楽器のパートを、絵画制作のため(それこそ)からだにしみるくらい聞き込んで、最後に曲として構成されたものを聞くというプロセスがたいへん効果的で興味深かった」と言っていただきました。制作という側面から見ても、鑑賞という側面から見ても、あり得ないほど本質的な授業になったと思います。世の中にイマジネーションや創造性をうたう授業はありますが、音楽を題材としてここまで深く自分のこころに向き合って制作を進められたのは、日本屈指の才能を持つあの3人が先生だったからなのは間違いありません。