絵筆新聞
2007年3月 幸福の女神には!
子どもの頃「幸運の女神には前髪しかない」って、書いてあるのを読んで、それじゃキューピーちゃんじゃん!って思ったのは、ちょっと不謹慎ですかね。 んごごっ( © ごーごちゃん )
もちろん皆さんはよくご存知かと思いますけれど、チャンスは、やってきたその一瞬しか掴むことができないってことを言うための言葉だと思うんですが、 どうしてもその髪型と女神のイメージとがかみ合わなくて、見るたび複雑な気持ちになるというか、うなされるというか…….
さて、運がいいとか悪いとか言いますが、どうなんでしょうね。みなさんはどうですか?
もちろん偉そうに言えた立場ではないんですが、まわりの実力ある人たちを見ていると、少なくてもピンチの時に「運が悪かった」とは言っていないような 気がします。まず、物事にはがんばりどころ、がんばりどき(?)があるというところでしょうか。端から見ているとピンチだったり、大変だったりしているように見えて、どこか客観的と言いますか、ほんの少し離れたところから全体を見ているような、余裕や視野の広さを忘れない人っていますよね。そしてそう いう人って失敗した時も「そういうこともある」というある種のゆとりを忘 れていないような気がします。実は個人的に思っていることがあるのですが、(それは受験の指導をやってきて感じたことなのです。)美術系の受験の場合、経験値が必要な分、一夜漬けのようなことができません。何でも同じなのでしょう が、がんばった結果は、いつも遅れてついてきます。なので、ある程度長いスパンのトレーニングが必要なのですが、年間通して、本当にがんばって欲しい、 がんばらなければいけないターニングポイントが2〜3回来るような気がします。逆に言えば、本当にがんばるべきポイントは相当絞られていて、そのポイントが来るのを待つために努力を続けるのだとも言えるのです。もちろんその中にはどうしても外せない不可逆的なポイントも隠されているんですが、ある程度 長く受験を見ていると、1年間のスパンの中に、ひとりひとり微妙に異なった、うねりのようなもの(バイオリズムだということもできるのでしょうか?)があるんですよね。そしてどうしても外せないポイントで、(それがなかなかできないんですが)素直にがんばることが、結果につながっていくような気がします。そしてそのポイントに対してタイミングよく素直に向き合うことができる人が、まわりから「運のいい人」と、言われるんでしょう。
さて、おかげさまでまほうの絵ふでは、なぜかしら面白い人との出会いが続いているんです。こうして紙面で会員の皆さんとお会いしているのも、これはこ れでなにかの運とご縁だとも言えるのですが、絵を通して教育やものを作ることに興味を持っていただいて、少し変わった(個性的な?)人が来てくださると いうのが日々刺激的で面白いと言ったところでしょうか。さて前回の「クリ・エデュ」の展覧会で知り合った方が、実は創業77周年を迎える老舗の企画課課 長。どこでどんなご縁が生まれるか予想もつかないのですが、またまた何やら面白そうなことが生まれつつあります。まだまだ企画の段階ですが、まず第一弾 はどうやら絵ふでプラスから、そしてまたまた多くの人々にうらやましがられるような、素敵な出会いをしていただくことができそうです。大がかりになれば なるほど、様々調整しなければいけないことも多くなりますが、不思議と関わる方々が熱意あふれる人ばかりで、なにやらまた絵ふでの風が吹き荒れそうですよ。
2007年2月 本物から学ぶもの
音楽を教えようとすると想像してみてください。
普通は「あかとんぼ歌え」「リコーダー間違わないで吹け」「譜面読め」ってなりますよね。しまいには「大きな声で歌え」でしょ?それじゃ、普通に考えて、子どもに音楽の良さってわからないし 「音楽苦手人口」を増加させるだけという可能性もあります。もしすごい作曲家が学校の音楽の授業やったとしたら どうなるんでしょ?って思ったんです。
きっと教科書とか全然関係なく、もっと違った方向からアプローチするんじゃないかと。そしてたぶん、音楽の素晴らしさと、一般の人が気づかなくても、 プロが大切にすること、あたりまえに気遣うことをほんの少し垣間見せてくれそう、そんな気がします。なにより、そこにはあこがれや、尊敬が必ず生まれるはずです。
絵の場合はどうなんでしょう。絵だって「よく見ろ」「はみ出さないで塗れ」「名作見ろ」ってなるでしょう?しまいには「子どもらしくないからだめだ」 そんなことしていても、プロのチャレンジのすばらしさなんて少しも分かるわけがないし、理解というより、困惑や、何でもありといった無秩序なことばかりが印象に残るような気がしてならないんです。
そういえばこんな話を聞いたことがあるんですが、札幌市立高専の初任の音楽の先生はちょっと変わった人だったそうです。で、教科書なんてなかったので、みんな「高専の音楽の授業なんて何すんだろ?」という疑問を抱きながら最初の授業を受けたんだそうです。薄暗いシアターに、ただみんなバラバラと座って、その先生がきたら、頭ぼさぼさで、早口で、何言ってるかよくわからない。でも不思議と「何となくおもしろい」って感じがしたんだそうです。全然 押しつけたりもせず、ロックもジャズも民族音楽もクラシックも関係なく、毎回の授業は武満徹聴いたり、サティ聴いたり、バレエのビデオ見たり。それに対 して、きちんと音楽の歴史を含めて意見を話し、実際に音楽をつくらせたり。楽器弾けない人のためにもMacの打ち込みだったそうです。自分で弾いた方が 早い、なんて思った人もいたようですが、実際にやってみたら、自分で弾いてちゃ出ない音とかができてびっくりしたんですって。「へえ~、こんなモンなの か」って。週にたったの1時間だったけれど、今だにその授業のことを思だすのだそうです。さらに聞くところによると「たまにピアノ弾いたらむっっっちゃ上手いし。ひええ~ってくらい。後から聞いたら、ずいぶん有名な人だったみたいで、普通はあんまり音楽教えたりしてない人だったようです」
さてまほうの絵ふでは今回デザイナーの植原さんにご登場願いました。スポーツで言えば「全日本選手権」とか「世界選手権」とかのレベルのすごい人で す。絵ふでも植原さんも、別に珍しいことをやるべきだ、ということじゃなくて、学校とは明らかに違うんだから、絵ふでらしいやり方でみなさんに「ものを つくること」を考えてもらうべきなんじゃないか、とね。ただそれだけです。
2007年1月 未来はじめました
子どもの頃のこととか、ものごころついた頃のことなど考えるのですが、大人(?)になった自分自身、ほとんど変わらない好みであるとか、ときおり感じ る幼児性などに、驚くこともあります。そう考えると、昔の大人がりっぱだったのか、それとも今の自分が子どもっぽいのか、自問自答して混乱することもしばしばです。
さて昔の大人はいつ大人になったんでしょう。それとも子どもの頃からそう変わっていないんでしょうか。「今の若いもんは」じゃないですけれど、実は大 人も「子どもっぽいかな」なんて悩んできたのかもしれませんね。しかし…しかしそう考えると驚く事実がここにあることになります。つまり…「あんまりか わらないね!」
昔から教育関係者は子どもの伸び、成長に腐心してきましたが、もしかするとヒトの本質的な部分はあまり変わらないのかも知れません。かくいう自分も某 大手予備校の関係者からセンター試験の合計点数の一年間の伸びが、平均で20点くらい(つまり一科目につき4~5点!)と聞いて絶句したことがあります。それは一年の努力の結果としては、ほとんど誤差の範囲みたいなものじゃないですか!
そんな極端なことで考えなくても、将来の日本がどう変わるのか。それとも変わらないのか、そのこたえは今ここにあります。
今からさかのぼること約10年、1996年10月福島県の中学校に「テストをやったら自殺する」という匿名の電話があったため、「いたずらとも考えら れるが、命の大切さを最優先して延期」(教育委員会の見解)しました。前後して横浜の女子校で「体育祭を中止しなければ自殺する」との匿名の手紙があり、これを中止。
今期、道東の小学校で給食時、週に一回アニメのビデオを放映することを父兄が問題視するも、学校側は子どもが自主的に決めたこととして継続。親何も言えず。
つまりこういうことです。朝礼で校長先生のあいさつのあいだ中、おしゃべりがどうしても止められない子どもたちは成人式の会場で再会して、来賓のあい さつのあいだも静かにすることはできません。しかし、自分たちの言うことを学校の先生が聞いてくれないと教育委員会に言いつける子どもたちは、市長や知事のリコールの先頭に立ってくれるかもしれません。
ゴミ箱があふれている学校では、20年後、地域のゴミステーションはぐちゃぐちゃです。
給食のとき食べこぼしを拭くことができない子どもは、大人になってレストランで床に落としたポテトを踏んでも気づきません。
店員に対して何も言わずに手を出して買い物を終える子どもは、お店でアルバイトをしようとして、なかなかあいさつが言えずにとまどいます。
掃除用具がこわれ、トイレの扉ががたがたしている学校では、20年後おなじ地区の公民館の維持管理がお手上げになります。
朝の地下鉄はさながら化粧室のようです。みんなならんでまつげのチェック。文字通りヒトのことなど眼に入る余地がありません。
なにより未来の地下鉄で、おじいさんおばあさんになった今の大人は席をゆずってもらえません。これはきついでしょうねー。
さて2007年!
ひとに優しく、自分に厳しく、子どもたちにも、ちびっと厳しく。さあできることからはじめましょう!
2006年12月 おべんきょ新法で18歳未満の携帯電話が
いや本気で考えているわけじゃないんです。そんな意見を読んだことがあったんですが、それほど深く考え込んでいたわけではないんです。しかし、この前 ふと思い出して、ちょっと考えるところが あったんですね。
ある統計によると高校生の51%、まあいわゆる半分くらいが、学校以外で一秒も(!)勉強していないのだそうです。一秒もっていう言い方がすごいんで すが、つまり雑誌とかは別にして活字も読まずに話したり、遊んだり・・・って何をしてるんでしょう。書きながら正直思いつかないんですよね。そんなにお金を持っているわけじゃないから、カラオケ行くわけでもないでしょうし、法律上呑みには行けないし、ゲーム?だれかとデートですかね?寝てるのか?
まあそのように不思議な統計がでているわけなんです。朝一番の約束があって、ふだん乗らない電車で東京の都心から郊外へと移動していたと想像してくだ さい。乗ったのが7時前。混む方向ではないので、ごくたまに私立の小学生やら中学生らしき子どもも見かけますが、だいたいお勤めのおとなばかりです。 20分ほどで乗り換えて、さらに先へ。だんだん高校生が乗ってきます。にきびのぽちぽち見える男の子やら制服の女の子。しかし時間が経つにつれてだんだ ん感じが変わっていきます。もちろんたまたまでしょうから、えらそうに時流を論じるつもりはないんですけど、8時をまわって時間が経ち、「どう考えても遅刻では?」という時間になってくると、ふと思っちゃったんです「ホントに一秒も勉強してないかも知れないな」って。たちの悪いジョークだと思っていま したが、向いの女子高生はビューラーでまつげを整えるのに夢中です。そのとなりでもその前でもみんなずっとメール打ってます。つーかあの子たちぜったい授業中も打ってます!打ちまくりです(先入観強すぎますか?)
思えば携帯電話が、ゲーム機であり、音楽プレイヤーであり、ワンセグテレビであり、スケジュール帳であり、目覚ましであり、コミュニケーションに欠か せない道具なのははっきりしています。遊び道具満載の子ども部屋を持ち歩けるということに、とうに子どもは気づいていました。セキュリティのためとして、小さな子どもが持ち歩くのはもう止まらないでしょう。どう考えても電子辞書や計算や漢字の学習ドリルが組み込まれるのは時間の問題でしょう。
勉強にも必要だしみんな持ってる。何かあったら助けを呼ぶのといわれたとき、さあみなさんはどうしますか。
2006年11月 良い教育/良い環境とは
秋たけなわです。気の早いところでは人工雪でゲレンデ作りをはじめたとか。山ではそろそろスキーのシーズンもやってきますね。冬のニセコとか富良野と か、リフトの上から見ていると、ヘルメットかぶった小さな子が、八の字ボーゲンのまま上から下まで直滑降で行くのを見て、「ああ、こういう子がオリン ピックとか行くのかな」なんて考えます。最低限のルールを教えられ、考え得る一番の用具、安全な装備を与えてもらい、「素晴らしいバーンだ」そんなふう に世界中の人がいう斜面にチャレンジする。周りには(地元ですから)その子のことをよく知ったスキーの上手な大人がいて、どこそこのお兄ちゃんはオリンピックに出たとか、なんとかさんの下の子はこの前全日本の強化選手になったとか、具体的な目標がある。まず習うより、スピードと遠心力・三次元の重力に とびこむ勇気とバランス力を身に付ける。
そんなところから本物の才能が選び出されるのでしょう。大切なのはまず、そのものの持つ魅力自体が学習をすすめ てくれること、上手くなること上達することに、具体的なイメージを持つことができるのも大きな意味を持ちます。
さて、美術の場合はどんな学びの環境があり得るのでしょう。明るくて清潔、整頓された環境。暑すぎず寒すぎない集中を妨げない空間。子どもの今できる ことと興味に合致した適切な課題の問いかけ。アドバイスしすぎることはないが、柔らかく見守る指導者。目はとどくが、適度にほっとかれることも大切です ね。そうでないと自分で答を出すチャンスが失われてしまいます。つまりスキーでいえば能力の要求にこたえる素晴らしいゲレンデと適切な装備、最低限の安 全と良い場を提供する。つまり集中することのできる環境と時間。教育の原点はそこにあります。そしてもうひとつ、高い目標・こころざしをもつこと(遠い視点)と、そのときチャレンジすること(近い視点)が子どもの能力に対して適切なことです。どれもありそうでなかなかないことです。夢だけを語って子どものできないことをやらせる指導者。できあがっためちゃくちゃの作品を、子どもはすばらし いとほめちぎる。制作場所は用具やゴミで雑然としていて、制作のあいだ中おしゃべりで騒然としている。そんなケースをいくつも見てきて、絶望的な気持ち になることもままあります。しかし絵ふではそういうのイヤなんです!絵ふではニセコになるんです!









