えふでGallery

スニーカーの絵

見たようにしか描けない。描けてるようにしか見えていない。
ラボの生徒は「自分が見ている」ということに対して
真摯にぶつかることが求められるのです。
上手だなー。とか
写真みたいだなー。
そんなふうにほめられるのが目的ではありません。
写真が、かつてそこに存在したことの証明だったように、
モチーフのバスケットシューズと
自分との会話みたいなものが、画面にのこされているんですね。

(アートラボ)

シャツの絵

まほうの絵ふででは小さな子どもたちも
いわゆる鉛筆デッサンをしています。
大人と子どもには想像する以上にちがいがあります。
例えば、色塗り。
大きな紙をひたすら塗る、しかも真っ黒にする作業は
まだ体が小さく、力の強弱も思うようにつけられない子どもにとっては
すごくハードルが高いのです。
さらにこの作品には袋文字の描写がありますね。
文字が描ける・描けないというよりも、
普段は1本の線で表されている文字を、
太さのあるスペースとして認識していくのは別次元のもの。
…という理解を持ってみると、この作品はかなりの力作ですね。

(キッズコース)

じぶんの絵

勢いがあってよろしい。
年中さんは、「マル」を描くことがチャレンジだったりします。
大人になってしまうとできて当たり前のことも、
実はひとつひとつ段階を踏んでできるようになってきたんですね。

たき火に火をつける時にたき付けがあると楽でしょう?
子どもが絵を描く時も同じです。
何かきっかけがあると、すっと自分の絵の世界に入っていけるもの。
この子の場合は、歯に興味があって注目したんですね。
鏡で見た世界と描いている世界が
自分の中でつながっているのです。

(キッズコース)

手のデッサン

絆創膏を貼った自分の手。
見た通りに描いてごらんって絵画の指導者はよく言うけど
そこがいちばんむずかしい点でもあります。
絵の技術を学ぶより、
まずは見方を学ぶことの方が大事だったりします。

よくさがし物とかしてる時、
目の前にあるのになんで気付かなかったんだろ?とか
歩いてて急に自転車に気付いてびっくり!とか、ありますよね。
べつに突然目の前にワープしてきたわけでもないのに
自分が気付くまで、脳は「ないもの」にしているのです。

そう考えると、みんなふだんは「自分の見たいもの」を見てる。
でもこの絵の線や色合いを見ると、
これを描いた子はいつも以上によく見て
じっくり絵に向き合ってる様子が伝わってきます。

(ジュニアコース)

きんぎょの絵

色彩が強烈です。
実は絵の場合、単色がきれいということはないんです。
他の色とのかねあいで、
色がビビッドに輝くのですね。
そう言うと、逆に汚い色というのもないのです。
この金魚の赤に、海藻の緑、水槽の中の青…
さらに黒が良い感じで引き締めていて、いい仕上がりをみせています。

(ジュニアコース)

ともだちの横顔

えふでの授業は後ろ向きだったり、真横だったり。
なかなかふつうのがありません。
しかし…ふつうってどういうことでしょう?

えふでの絵画の授業では、絞り込みを使うことが多いのですね。
この横顔の絵では、顔の立体感を表す努力を少なめにした分
目や鼻、口の位置感。関係性によく気持ちが向いています。
人の顔に対しては「こうあるはずだ」という固定概念が強い分
改めて違う角度から見ると発見が多い。
服のしわなどもよく描かれており、柔らかな感じなど、
なかなかここまで、描けないですね。

(ジュニアコース)

模写[ゴッホさまの自画像]

包帯を巻いたゴッホの自画像の模写です。

子どものすばらしいところに
思い込みのちからがあります。
たとえばままごとをしているとき。
葉っぱはお皿になってしまいます。
それは大人が思う以上に、ほんとうにお皿になっているのです。
小3くらいからだんだんとそのちからは小さくなり
代わりに現実的な認識のちからを手に入れていきます。

この模写では、まず絵の持つ世界観が伝わってきます。
描きながら本人の意識が絵の中の世界に入り込むことによって
このようなよい作品ができるのだと思います。

(キッズコース)