2013年12月 ごはんのネ申さま展

ごはんのネ申さまがいることは、みんなが知っています。それはこどもたちにとっては当たり前で、わざわざ説明するまでもないことだったりします。その「当たり前」の存在を言葉にして、形にしてみたら……。それはとても難しくて、とても楽しいことになるかもしれません。この展覧会では「ごはんのネ申さま」を、言葉や形、音や料理で表現します。豊かで複雑な味わいの、いろんなネ申さまが、会場にやってきます。

外国では「パンはネ申が与えてくれたもの」とか、「ワインはイエスの血」と言ったりしますが、ごはんの中に…というかごはんそのものをネ申さまとして考えるのは、日本人特有のもののように思えます。

「お米の中には7人のネ申さまがいる」とか「ごはんのひとつぶも残さないように気をつけてる」と聞き、へえ〜とちょっぴりこどもたちを見直してしまいました。さらに子どもの話をよくよく聞いてみると、お米だけではなく、料理や食材それぞれにもネ申さまがいるそうです。冷や奴やおひたしの中にも、それぞれネ申さまがいるよね。みそ汁や梅干しにもいそうだよね。そう聞いているうちに、なんというか日本の文化ってほんとうに特別なのかも知れない、と思いました。ごはん、お米…そういう食材そのものを大事にするだけではなく、餃子やピザなど、食べられる物すべてを神聖なものと考えたり、それらのネ申さまのイメージの中には料理をする作り手の感情のようなものまで入っていたり。こんな国って他にもあるのかな?

そのイマジネーションはどこから来るのかと考えてみると、もとはお父さんお母さんから言われたこと、おじいちゃんおばあちゃんから聞いたこと、本で読んだ民話や昔話、言い伝えや、学校で聞いたうわさ話…いろんなお話が自分の中で合わさっているようです。そんな中からも、子どもなりに納得できること、信じられることが昇華されて、ひとりひとりの「ものがたり」が出来上がっているのが伝わってくる。うーむ、これぞクリエイション。しみじみ考えさせられるのは、やはり創造って、何もないところから生まれているわけじゃないってこと。いろんな人から受け継いだもの、見たり聞いたり、五感で感じて、自分のなかにたまったものが、表現につながっているのです。甘いことだけじゃなく、酸っぱい、苦いも感じて自分に取り込むことが大事。いろんな刺激を受けて、いろんなことを考えて、矛盾やつじつま、整合性を考える中から、それは広がっていくようです。いやーその意味で、子どもって大人のことをよく見てるし、大人の言うことをよく聞いてるね。こういうものを文化と呼ぶのかもしれない。

さて「ごはんのネ申さま、いるよね?」という問いかけから始めた、ジュニアの『ごはんのネ申さま』の授業。今回の制作では、子どもの未分化のイマジネーション、そのかたまりみたいなものが垣間見えて、たいそう味わい深いものだと感じ入った次第なのである。実際のところ、そういう類いのプリミティブなイマジネーションみたいなものは、小学3年くらいからふわふわ消えていく、はかないもの。なかなか外に出すきっかけがないまま、大人になって忘れちゃうことも多いんだよね。

この冬に行う「ごはんのネ申さま」展では、現時点でのえふでっ子のイマジネーションと、リアルな工作能力との悪戦苦闘がまったり溶け合った、不思議な世界観をお見せすることができると思います。お楽しみに!

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