2013年8月 繪筆校長流進路指導論

 常日頃から感じていることですが、えふでの子どもたちはなかなか優秀な子が多いと思います。幼稚園児でも小学生でも、芯の部分が伝わっているかどうかは、指導をしていてよくわかる。特に小さい頃から長い付き合いになっているラボの中高生には「何になりたいの」とか、「どこ(の学校)受けるの」って、ワシよく聞くんですが、結構みんな「うーん」と真剣に考え込む時期になりました、そういうのってなんかいいですね。

 まれに「まんが家!」とか「プロダクトのデザイナー」なんて結構具体的な返事が返ってくることもあります。ええことです。なるって言ったらなるまでやりなさい。特に美術関係の仕事には、たいがい国家資格も無いので、自分で宣言すればよいのです。もちろん社会的に認められるほうが活動しやすくなりますが、食うに困ろうが、他人が認めなかろうが、自分のやるべきことに対し、血の通った愛情を持って、半ば狂ったように24時間365日夢中になる…ヒトとしてそんな素晴らしい人生は無いと思いますね。まわりは困るけど…。

 中高生ぐらいになると、友達が「具体的な目標がある」なんて言ってるのを聞くと、結構焦ったりするようです。しかしねー、中には職業(=資格試験の突破)という目標が具体的なだけってこともありませんか?そこに向かってひたすら努力し、自分の目標を実現する…そんなプロセスって、とてつもない快楽を生むので、一歩間違うとそれ自体が目的化してしまうことすらあります。もちろん、それはある意味実力の証明でもありますから、共感できるところも少なからずあります。しかし、今いる集団の中でのトップを目指して、何としても最難関、就職に有利、偏差値的に自分はこことか…それって志望動機ではないと思います。

 きれいごとを言うなと叱られそうですが、思春期の素晴らしさってアホなところだと思うんです。あるとき、衝動的に「これじゃなきゃだめだ」と感じる。雷に打たれたり、恋に落ちたりするみたいに、どうしてもこういう人間でありたいっていう、激しい思い込みがもてるところがいいんです。どうなりたいのか?という質問でワシが聞きたいのは、別に地位や職業ではなく、実現したい自分の「あるべき姿のイメージ」なんですね。その上で現実とどう向き合おうとしているのかに興味があるんです。そうやって自分の取り組んでいることに熱意と愛情を持っているひとの方が、日本を楽しくしてくれると思うのです。まあ、ときにそういう人って困ったちゃんだったりもするけれど、そういう「人としての芯」をもったまま社会の役に立てるような職業に就くことがひとつの理想だとワシは思っています。

 まあ、なんにせよ夏休みが来る。キッズもジュニアもラボの子も、受験生だって、受験生じゃなくたって、夏休みを有効に使いなさい。勉強の予定は立てたかね?最高のものを読み、最高のものを見よ。目標と目的、目的と手段をごちゃごちゃにせず、自分のやりたいことをやり、なりたいものになるのだ。がんばれ。