2013年3月 自分にどこまで要求するか? ねむの木学園を見学してきました

 ねむの木学園をご存知ですか。宮城まり子さんのもと、感受性を大切にし集中力を養う教育で知られ、絵画・合唱・ダンス・詩などで高い評価を受けている静岡県にある私立学校です。設立からはすでに46年。現在、美術館、生徒の実習のための喫茶店、毛糸、ガラス工芸、雑貨屋さんなど、福祉と教育の「ねむの木村」を建設中です。そこでは「子ども」と呼ばれる5歳から70歳くらいまでの障害を持つ人たちと、ほぼ同数の「お兄さん・お姉さん」と呼ばれるスタッフが共に生活しています。先日その学園を見学してきました。

 行き届いたアトリエの状況に感嘆し、食事の後片付けを自分たちでする様子に感心し…と、ここまでは、ある意味健常者としての「上から目線」だったのかもしれないのですが、その後、混声合唱の授業を見学するうち…そのがんばりに、まさしく驚愕したのです。その時の50人ほどの子どもたち(と言ってもほとんどが大人の年齢)の凄まじい集中力…まさしく渾身の努力に見えました。つーかえふでの授業で、あれほどの熱と集中力があるだろうか…と、えふでの子どもの姿を想い出しながら、ワシは激しく動揺したのでありました。

 もちろんこうも言えます。「ほぼ生徒と同数の献身的なスタッフにケアされているのだから、ねむの木学園は特別」。しかし、そうなのでしょうか?人間は「できるようになること」に、本質的な喜びを抱くものなのだと思います。けれども、そもそも自分に甘かったら「できるように」なりません。その意味で、学園の子どもたちは、それぞれの個人が抱える「できないこと」の限定があるからこそあそこまでがんばれるのかもしれない…と、思ったりしました。その意味ではえふでの子どもたちは自分に対してもっと厳しくなることで、よりその本質的な喜びに触れることができるようになるのではないでしょうか。

 具体例としてお伝えすると、2月のジュニアではカッターの扱いを学びました。もちろん誰にでも使いやすい便利な道具ですが、今回の授業で行った、線の上ぴったりを切るという課題では、子どもの内面の様子がはっきり見えてきます。1ミリくらいのズレや、切り直しのギザギザがあっても「これでいい?」。もちろんワシの答えは「ダメ」なのですが、実はこれはラボからキッズまで共通する、どこまで要求するかの線引きの問題なんです。「デッサンのかたちがちょっと狂ってるけどいいかな?」「うまくひもを結べなかったけどいい?」「構図、上が空いたけどいいですか?」…ダメに決まってるだろそんなもん!

 そりゃー自分がいいと思うならそれでよいとも言えます。しかし自分がいいと判断したレベル以上には良くなりません。あえて例えるなら、数字のパズルの「数独」みたいなもの。数字を適当に埋めたって何の意味もありません。つじつまが合わないところを丹念に検証する。精度・正確さを追い、自分のイメージ通りにするための努力をすることで、できた時の達成感が大きくなる。上手にできた時と、そうでない時とのあいだにどんな違いがあるか懸命に考えてみる…多くの子どもが、まだまだ制作という謎解きの本質的なおもしろさの手前で立ち止まっているのです。ということで、2013年度も子どもにビシバシいくぜ!