危ないことは誰だってイヤだ。しかし世の中にはやらなきゃいけない危ないことがたくさんある。いや、やらなきゃいけないというのはちょっと違うかもしれない。やりたくなければ、やらなくてすむ危ないことにあふれている…と言った方が正確でしょう。
たき火だって近くじゃおっかないのに、火事を消すなんて大変だ。ほっときゃいつかは消えるだろう。のこぎりですらなんか危なそうなのに、あの回転のこぎりなんか絶対だめ!木のカットなんてホームセンターで50円とか100円とかでやってくれるんだから自分でやるなんてバカの極み。車のパンクはJAFの隊員がすぐ来てくれる。魚をさばくのは生臭い。屋根のペンキはペンキ屋さんを頼もう。発電所の事故はロボットを使えないのか?そんな波のある海に出て行くなんてばかばかしい。崖の上の犬がかわいそうだ!あの木の上の猫を助けろ!
はたして日本人はいつから危ないことを誰かにやらせればすむようになったのか。…大丈夫かニッポン!
ワシは小さなものから、工場の機械のような大きなものまで、何でもゼロから作ったり直したりするスーパーな鉄工所のおじさんを知っているのだが、このあいだそのおじさんがケガしたことを、恥ずかしそうに教えてくれた。何でも建設機械(ブルトーザーみたいな大きなやつ)のキャタピラをはずそうとしたところ、油圧のかかった油が吹き出て手のひらを貫通したのだという!手も大変だったが、そのときのしぶきで眼まで痛めたという。もうここまで来ると、想像を超えた世界で、圧力も何トンとかいうレベルだから、液体が漏れてかかったようなのんびりしたものではないということだ。そりゃー救急車レベルの大事だったらしい。
そんな大変なことではなくても、例えば車の趣味の世界では、ジャッキアップしたクルマがどすんと落ちて冷や汗とか、二ヶ月かけて直して10分でパーとか、笑っていいんだか、笑っちゃダメなんだかよく分からないようなこともたくさんある。だからこそ「こういうことは絶対するな」…とか、「こうしなければダメだ」ということがたくさんある。例えば…さっきのジャッキの話しなら、不安定なところで持ち上げちゃダメ、とか外したタイヤは下に置いて最悪カラダが挟まらないようなスペースを確保する、バッテリーはマイナスから外す(なぜだか分かります?)とか…数限りなく失敗しながら学んでいるのも事実ではある。
確かにハサミならまだしも、カッターを使う工作なんてやらなくたって困らない。ハサミだってこども用は先っちょが丸くなった。むき出しだと危ないからケースも必要だという。工具や製図用具が大好きな、ワシのようなアホなこどももめっきり少なくなったような気がする。もちろんワシとて偉そうに言えたもんじゃない。あっぶねー!と青ざめたことは数限りない。ただのラッキーでケガを逃れたこともあるが、アホな工作で切り傷は作ったし、あり得ないトラブルで眼鏡を粉々にしたこともある。知人に至っては、一生ドラえもんの握手しかできなくなった。
そう、危ないことは誰だってイヤなのである。ワシだってイヤだ。しかしやらないとできないし、やらないとできるようにならないのである。外注に出す時は、時間と精度を買わせていただくのであって、できる限り技術を学ぼうと思って、時間がある時は職人の作業を見学し、お手伝いできるところはする。
上から目線で言うわけではないのだが、ラボのカッターの一件は、できないからやらない、やらないからいつまでたってもできるようにならないという、まさにヘタクソの負のスパイラルに陥っている実例ということなのではないだろうか。
そこでワシはしみじみ思ったのだが、今回のラボのカッターの制作…できないことを叱ってもしょうがない。叱ったってできるようになるわけではない。たしかにその通り。それは分かっている。じゃあ、やさしくやり方をアドバイスすればいいのか?
…ワシはやはりちょっと違うような気がする。根源の問題として、自分はできていないとか、仕上がりに美しさがないという自覚がないところに、技術の向上はないのじゃないだろうかと。どんな製品であれ、誰かが人為的に作ったものである。特別な人間が作ったのではない。極論するが、人間国宝だってある一面から見たら、フツーのおじさん、おじいちゃんなのである。(もちろん女性もいます)
美しいものを作りたいという願いや、あこがれがないところに、美術を学ぶ意味なんてない。この際きちんと書いておくが「アートは思い通りに!心の感じるままに!心の豊かさが大事です。先入観を捨て、あるがままを受け入れる心を持ったとき、アートはあなたの心にささやいてくれるでしょう」…そんなのはウソだ。まやかしだ。努力をしないことに対する正当化だ。科学・芸術・宗教は同じ木の違う幹だ(©アインシュタイン先生)先人の制作を尊敬し、ときに焦がれ、ときに憎む(おいおい)。先人を越えることは容易いことじゃない。ラボの子たちは…自分に厳しくなれ。…(小声で)校長には優しくな。