2012年10月 柿さん × 校長 デザインとアートの目線からこどもの教育について話をしました。

柿さん=柿木原政広さん
アートディレクター。DRAFTを経て07年、株式会社10(テン)を設立。主な代表作に「shingingAEON」映画「めがね」など。独自ブランドにカードゲームをはじめとする「Rocca SPELE」。

校長:えふではニセコみたいになるんだって言ってた時期があるんです。ニセコってすごい田舎ですけど、いいスキー選手がいっぱい出てるんですよ。何がすごいかっていうとね、近所のお兄ちゃんが全日本の強化選手でしたとかね、従兄弟のなんとかちゃんはオリンピック出たよとか、そういうのが身近にたくさんある。で、スキーを細かく教えてるかというと、教える仕組み自体はもちろんちゃんとあるんだけど、見てるとちっちゃい子は、まずは単純に「直滑降」なんです。四歳、五歳の子どもにヘルメットとかだけちゃんとつけさせてね。結局、いちばん大事なことって、そういうダイナミズムでしょ?そして手が届くところに世界選手権とかオリンピックとかがあるのが当たり前。そういう両極端な環境がすごく良いんだと思うんですよね。

柿さん:教育論になるのかどうかはわからないんだけど、人は判断しながら行動し続けるわけですよね。たぶん過去のいろんな経験が、その人の血となり肉となり、何かあった時に判断しながら次に進んでいくことを、どれだけ自信をもってやり続けられるか、というところが肝だと思っていて。要は、素直に物事を捉えることができるかどうか。みんなどうしても物事の「裏」を考えてしまう。そうするといろんな物事が、まっすぐそのままいい表現になりにくい。でも自分の中にあるネガティブなものとか、コンプレックスみたいなものを、実は「ネガティブだからこそできる」というような視点をもつ。それができるかできないかだと思っていて。

校長:みんなは「のびのび好きにさせていれば子どもは伸びますよ」って言うんだけど、実は言うほど伸びない印象もあるんですよね。かといってぎゅうぎゅうに締めるといいかっていうと別にそうでもないし。結局、行きたい方向にちゃんと導いて行くっていうのがあった上で、さっき言ったような「当たり前の空気感」のようなものが大きいのかな、と。

柿さん:例えば俺で言うと、いわゆる芸大を出てるわけではないし、ドラフトで一緒に働いていた人たちのように、小さい頃からデザインに対してすごく意識が高いわけでもない。アイディアがぼんぼん出てくるわけでもない。自分てなんだろう?って考える期間がやっぱりあった。でもよくよく考えてみたら俺、拓殖大学という総合大学にいて、その頃テニスサークルでこんなスタジャンやだな、デザインこういう方がいいなとか言われながら、一般軸の視点のスポーツ観とかもシビアに見られる環境があったのね。自分の中で、普通の大学出て、普通にやってきて、普通に…と思っているその「普通に」っていうものは、考え方をシフトすると実はすごく自分にとってメリットであって、いわゆる「デザインオタク」の中での評価軸ではない、より多くの人が理解できる表現方法や世界観を捉えることができる環境がそこにあったんじゃないかと。でも変に素直じゃないところがあると、それはデメリットのままなの。そのデメリットをメリットに変える力が、実はなんかすごく重要な気がしていて…。ふだんデザインを教えてても、そこがポイント。そしてこれはデザインだけじゃなくて、他のことにもいろいろ当てはまるんだろうなとも思うわけ。

校長:ワシは…突き詰めたところでいうと、アートの教育って無理だと思う。アートと教育は全然、相容れないものだから。で、やっぱりどうしてもえふではデザイン的な教育になるんですよ。例えばね、自分は絵がヘタな人間の気持ちはやっぱりわかんない。ずっとうまかったし、さらにうまくなろうと努力してきて克服してきたということじゃないですか、ある意味。

柿さん:校長の言う、クリエイティブな表現者としてあるラインを守らないとそれが生まれてこないっていうようなことって、いっぱいあるじゃん?アートの世界ってある意味、自己責任だし、自分が何を考えているかをかなり磨いていかないといけない作業になっていくから。そこに、「錆びる素」「酸化する素」みたいなものは、入れたくないじゃん。だから例えばよそからのいろんな意見を排除した方が酸化されなくていい、みたいなこともあるでしょ?なんかそこは、単純に立ち位置の違いというか。
 デザインの場合は、…例えば民芸運動とかも同じだと思うんだけど、人の営みの中から生まれてきているもので、それは一個人の感性で生まれるものではなくて関係性の中から生まれてくるもの。それを磨くということと相手の意見を聞くということはけっこう同じ作業なんだよね。
 だからドラフトの宮田さんが入社の面接するときのポイントっていうのは、実はデザインがうまい・へたっていうのとは関係なく、物事をまっすぐ捉えてまっすぐ返すか。それこそ資質と捉えている感じがあって。

校長:それ、そう言ってたんですか?

柿さん:うん、言ってた。俺はそういう意味で、「ウエ(植原亮輔さん)は作品で入れたけどお前は…人柄で入れた」っていうことを言われ続けてて(笑)。宮田さんはものを判断する時に、その人の空気感とか、その人の親とか、その人の背景とか、そういうことを考えるわけよ。で、例えば百何人いた中から、結果的に女性三人が最終面接に残った時も、三人ともそれぞれいいところがあって…みたいな感じだったんだけど、結局入れたのは宮田さんの友達の息子だったりするわけ。

校長:(爆笑)ははっ!そうきたか。

柿さん:それは、宮田さんの友達の息子だから入れた、という単純な理由ではなくてね。その友達が、その息子に対する思いみたいな手紙を送ってくれたの。その文章がめちゃくちゃ良かったわけ。なんか人を感じるというか。で、宮田さんは結局、人柄と、その手紙と、その人がドラフトに入ってくることは、本人が本気で学ぼうとしている環境があると判断して。

校長:でもそれって、女の子たち大丈夫なの?しかもその文章書いたのお父さんなんでしょ?本人じゃなくて。

柿さん:そう。でも要はそれは、その親だからその息子がいるという判断も多くあって。で、結果としてその彼はやっぱり入って良かったの。すっごい性格がいいし、素直にいろんなものを吸収するし、本人も、自分はここで学ばなければいけない何かがあるということをちゃんとわかった上で行動しているので。まあ、もともとそいつはヤンキーあがりだったんだけど、律儀に、しっかりと仕事をしてったの。

校長:昔何かのデザイン雑誌にあったインタビューなんだけど、夜になったらみんなでお酒を飲むっていう事務所でね、バイトの子がおつまみ買ってくる役だったんですって。そしたらとあるバイトの子が選んでくるつまみがいちいち気が利いてる。毎回センスがあまりに素晴らしくて、思わず正社員にしちゃったんだよっていう話を読んだことがある。

柿さん:おもしろいね。ドラフトに入って一番最初に学ぶことって、実はお茶入れなのね。お客さん来たからコーヒー入れるとかではなくて、相手がどういう状況かを見極めてちゃんと入れる。例えば寒い時だったとしても、相手が走って来てたら、暑いかもしれないから冷たいお茶をあげるとか。何か思いやりとか気配りみたいなものがそこに存在すると、クライアントが何を発したいかという、微妙な機微みたいなものを読み取る最初のきっかけになるんじゃないかって。

校長:なるほどね。

柿さん:で、こどもたちがやらなきゃいけないことは何かって考えていくとやっぱり、自分が考える範囲って、若ければ若いほど狭いわけでさ。その狭い範囲だけで判断するな、みたいなことじゃん。えふでは、こういうことを積み上げていくとこんなおもしろいことができるんだよ、ということをずっと経験させてる。そこにいると楽しいことができるから、こどもはそれを素直に受け止めて、目の前のことをコツコツとやる。それをし続けていくと何かが生まれるということが、わかってくる。漠然とではなく、そこはちゃんと毎回毎回、先生たちの表情とかから読み取ってるんじゃないかな。
 それ、俺は一番最初にいつ思ったかというと、富士中央幼稚園のグラフィックの仕事したときで、園長がまず「素直さを大切にしたい」と言ったわけ。幼稚園の時には、自分が思ったことを感情にそのまま出していかないとダメだ、だけど大人な子どもが多すぎると。大人があまりにも裏を読みすぎると、こどもも裏を読む。だから大人がちゃんと素直に物事を捉えて、素直にやってると、子どもにもそれが出てくるから、素直さみたいなのをどうやって作るかが重要なんだよねって。そのためには親もそういうふうに接しなきゃいけないし…いわゆる鏡なわけでしょ。だから幼稚園の時には、物事をおもしろいと思ったらおもしろい、つらいと思ったらつらい、その感情をそのまま表現できることが重要だ、と。その話を聞いて、俺的にはすごく納得したんだよね。こどもって結局のところ、その親がどういう風に判断してるかが最も影響してるから。たぶんモンスターペアレンツのこどもはやっぱモンスターなんだよ。

校長:その気持ちはすごくわかる気がする。表現で人が喜ぶとか人が驚くとかっていう駆け引きや押し引きにもつながるでしょ。お茶をどう出すのかってのも、ねえ。クリエイティブじゃないですかそれも。

柿さん:うん、すごいクリエイティブだよね。でもそこに対する教育ってのは、今の学校教育の中にはあんまりないのかもしれない。教えてできるものでもないでしょう。そこの心配は、実は自分たち大人がちゃんとすることでクリアすべきことかも。やはり大人の「判断」を見て子どもは育つんじゃないかな。