
次のチェックリストは、昭和30年代〜40年代の幼児の造形教育指導書からまとめたもので、当時、小学校入学前の子どもたちに求められていた技能です。お父さん・お母さんは、何歳頃にできるようになりましたか。
□ぞうきんをしぼることができる。
□ 角を合わせて紙を折ることができる。
□ はさみで直線・曲線・穴を切ることができる。
□ ねじ回し・釘打ちをすることができる。
□ のこぎりで木を切ることができる。
□ 一本のひもの中ほどに、結び目でコブをつくることができる。
□ 二本のひもをつないで、一本にすることができる。
□ ねじぶたの開け締めができる。
□ 茶碗にたっぷりと入れた水をこぼさずに運ぶことができる。
□ 靴ひもをチョウ結びすることができる。
□ 粘土をこねることができる。
□ 豆をはしでつかんで移すことができる。
□ えんぴつで形を塗りつぶすことができる。
上記のチェックリスト、いかがでしょうか。えふでに通う子どもたちは器用な子が多いですから、当然合格点がつくように思えます。しかし「雑巾のしぼりが甘い」「ひもは結べるが糸は結べない」「ジュニアでものこぎりの扱いに不安がある」など、厳しめの目線でみると、まだまだがんばりの余地はあります。
子どもの靴売り場に、マジックテープの運動靴がずらりと並ぶようになったのはいつ頃からでしょうか。ひもだけの靴が減ったのは、子どもが靴ひもを結べなくなったからなのか、それともマジックテープの靴が主流になったため、結果として靴ひもを結べなくなったのか…。必要に迫られなくなると、技能は自然と、少しずつ衰える一方です。
それらのことにふと気がついたのは、15年程前の経験がきっかけでした。小さな子どもの授業の中で「紙粘土に絵の具を混ぜて、色粘土を作る」という要素がありました。今のキッズコースに相当する年齢の子どもたちが対象だったのですが、結果はほぼ全員、マーブル模様。均一な色の粘土にすることができなかったのです。きれいな色粘土にするためには、ただかきまぜるだけではなくて、擦り込みや練り込み、力のなさを補うため体重をかけて粘土をつぶしたり、色の混ざり具合を見ながら作業を工夫したりなどの複合的な要素が含まれています。結果を見た先生たちの指導会議の中では「子どもの手が小さいからできないのでは」「力が足りないのでは」などの意見があり、授業を簡略化する方向の考えに傾きかけました。が、「できるようになるべきなのかどうか」という見方で考え直すと、違う側面が見えてきたのです。例えば途上国など、子どもが労働力として見なされている地域であれば、5歳~6歳でも身についている技能なのではないか。特に小麦粉文化で毎日パンを焼くような社会なら、できないと困ることかも知れません。人間のもつ力として、日本の子どもの能力がそれほど劣っているとは思えませんから、そこには「習得する機会がない」「できなくても困らない」という生活経験に要因があるのだと気がつきました。
やはり子どもたちには、何でもできるようになって欲しい。なぜなら、器用さ・うまさは自分の制作の引き出しの数を増やすことになり、成功体験はがんばりの直接の原動力になります。できることが多い方が想像力は膨らみますし、その想像力にリアリティが出てくるでしょう。
その意味でもジュニアの授業でたびたび登場するのこぎりなどは、やはり教材としてすばらしいものですね。真剣にならざるを得ない適度な危険さ。できているかどうかがはっきりする具体性。現実の授業では「できそうだ」という思いが先立って、実際にはなかなかうまくはできないものなのですが、ある意味その思いがチャレンジする気持ちを後押してくれるのも事実です。木工でも裁縫でも、やればやっただけうまくなります。問題は、できなかった事実に直面した時、すぐ諦めてしまうのか、もう一段階粘ることができるのか。また一見できたように思えても、自分に対する厳しさを持ち、できたものをさらに見直して能力を高めていこうと考えられるか。伸びる子はそこが違います。
そして豊かになったことで失われたものは、工作能力だけではないのかもしれません。「自分の行動を相手の行動と結び付けて考える力」つまり「社会性、影響する(される)力」も含まれます。電話やテレビなどかつては共有物であったものが、個人別に所有される現代。そんな傾向がますます進むことが予想されます。便利さは個人の自由という名の元に、悪く出ると自分勝手な行動を増殖させる温床にもなり得ますし、できるようになるため「努力する力」を子どもから奪う結果にもなりかねません。
最近はみんな誉められるのが当たり前になっているようで、校長がたまに「下手だ!」「ちがう!」などと直球で指摘すると、みんなきょとんとした顔をします。ジュニアでもラボでも、今の自分を否定して「実際にはそんなにできていない」ということを自覚させることが次へのステップになるはずです。そのように、正しい認識と努力があれば、幼稚園児であっても大人も驚くような技能を身につけることが可能です。そのためには、ひとつには経験。もうひとつは評価の物差しが一定であること。がんばりと結果の良さを分けて評価しなければ、正しい判断はいつまでもできないでしょう。そしてそれらを見守る大人の側に覚悟が必要だということ。本当にできるようになってほしいという気持ちは子どもに伝わります。