2008年3月 原体験

 自分の歳を3で割ると、それが人生の時間だ。そんな文章を読んだことがあります。
 例えば15歳のあなたは15÷3=午前5時。9歳のあなたは朝方の3時。3歳のあなたは…ああ、今日が始まったね、という時間だ。
 はじめの方のことって、すごく大事だよね。

 小さな子どもがイチゴを一粒食べる。バクっと!それはそれは口を大きく開けて食べる。あー、なんかうらやましい。すっごく食べごたえがあるんだろうなあ。おむすび一個食べてるみたいな感じ?実際、大粒のイチゴを子どもの手のひらにのせると、おとなの手の大きさからいえば縮尺的にはほとんどおむすびサイズですよね。おむすびサイズのイチゴを口にむりやりつめこんでモグモグほおばるなんて体験、おとなになった今じゃありえませんよ!
 たしかに子どもの時ってジュースが一本飲めなかったり、ラーメンとか丼ものとかどうしても食べきれなかったりしましたよね。たしかにワシも…とたまに思い出します。あと冬になると、子どもの手は小さいから、すぐ冷たくなっちゃう。おとながつないでくれた手が温かかったのは、単純に大きさの違いからくる理由もありますね。
 こういった子どもの頃の感覚というものは、ほんとうに大きな意味を持っています。初めて見た海の波とか、山の夜の暗さなど、びっくりするくらい印象に残ったまま忘れていないこともあります。しかしそれは必ずしも正しい記憶ではなかったりする。例えば、古い家とか公園とかを訪ねてみると、長いこと抱いていた印象と違ってずいぶん小さいなって感じたこと、ありませんか?
 ワシなんかは、ずっとむかしは深い森だと思っていて怖くてたまらなかった場所が、おとなになって気がつくと小さな雑木林で、横切るのに2分もかからないような広さだったり。大きかったという印象の近所の廃屋が、じつはちいさな小屋のようなサイズだったり。感じるものの大きさの感覚って、大人と子どもでこんなふうに違うことがけっこうあります。
 そして逆に、子どもの頃にはできたのに、おとなになってできなくなるいろんなことっていうのは、実は体に関わる感覚も影響しているような気がします。子ども時代は経験も少ないから、いろんなことが「はじめての○○」だったりする。そして小さな体で様々な影響をビビットに受け止めて体当たりできたりする。
 そういった意味では、まほうの絵ふでは原体験としてのアート体験の役割(の一部?)を担っています。子どもにとって初めての本格的なアートの体験が(はからずも)強烈なものになっているということは否定できません。おそらく世間一般のみんなが想像しているアートと、えふでの子どもたちが身をもって体験しているアートは、かなり違うと思うんですよね。
 そういえば先日、とあるかた方からこんなことを言われました。『あの「四〇〇〇匹の犬づくり」の写真見ましたよ。楽しそうでしたね!』「いや、楽しくはなかったですよ」『え?』「あれはね、実際ひたすらつらかったんです。時間はどんどん押してくるし、数はなかなか増えないし。普通に考えたら、子どもが起きてちゃいけないような時間まで作らざるを得なかったんです。」『でもどうして子どもたちはあんなにがんばれるんですか?』「どうしてなんでしょうねえ」これほんとにそうなんです。えふでの子みんながすごく特殊なわけじゃないですし。ひとりひとりのがんばりがみんなに連鎖して、すごい結果を出しちゃった。そしてあのとき体験した制作は、後になればなるほど自分たちの中で、そして周りのひとたちの中でも重みを増してきた。「たしかに、あれはすごかったな」参加した子どもたち、いくつになっても思うでしょうね。えふでが考えてたのはひとつだけ、乗り越えなきゃいけない壁があるのは幸せなことなんだ、ということ。それって、単純に楽しいとかうれしいとかいうのとはまた違った種類のものでしょう。そんなアートの本質の一部分を体験できたことが、ひょっとするとまわりから見ると楽しそうに映るのかな。
 そういう意味ではふだんの授業の内容もそうなんですよ。ひたすら描くことだったり、作り込みに対してのまっすぐさを非常にシンプルに追いかけたりすること。確かに制作にはいろいろ小難しいこともいっぱいあるけど、子どもの前にあれこれ並べて二の足踏ませてもしょうがないじゃん。かといって、子どもだから、と楽しそうなところだけちょいっとつまんで「よかったね〜」なんて適当な扱いをされても、子どもの方には何にも残らないですもんね。
 こういった強烈なものがえふでの子どもたちの「アートの原体験」になるであろうことは容易に想像できます。そしてそれが他とは違うものであるということも、付け足しておきます。長く通っている生徒の中にはうすうす気づいてる人もいるかもしれないけど、えふでって、えふで以外の何者でもありませんからね。
 一連のプログラムの中で、たぶんおとなが感じていることとは比べものにならないくらい、子どもたちはたくさんのことを感じ、学んでいます。その小さな体で、我々が想像もできないような、そして忘れてしまっているようなダイナミズムを感じていると思うと・・・なんかうらやましいぞ。 私はいま何時だ?なんて計算しているお母さんたち。ええと、だいたい午前十時以降のみなさんは、月一回ママ部でどうぞご堪能ください。午後の校長がお相手します!