2008年11月 えふでからおとうさんへ

 繪筆新聞は、やや黄みがかった紙になっています。実はこれ、ずっと昔のイエローブックのなごりなのです。えふでの皆さんはイエローって聞いて「あ、予定表?」とわかってくださいますよね。過去のイエローブックには「絵ふでからお母さんへ」というコラムが連載されておりまして、あるとき予定表を見やすくする、使いやすくするというねらいから、「ミニ」サイズになって、スペースの関係でコラムがブログのほうに引っ越しました。しかしそのあと、やはり紙で読みたいです、という一部のファン(?)に後押しされて繪筆新聞が生まれました。ですからイエローブックミニって黄色くないのに変でしょう?今ではグレーの折りたたみ式になってますけれど、あれはもともと黄色の小冊子だったのです。その「黄色いイエローブック」を知っていること自体、そうとう長い会員なのですが、じつは人知れずひっそりと、たった一度だけ「えふでからお父さんへ」と書かれた号があったんですね。
 やはりつまるところ教育には家庭のちからが大きく作用します。どうしてもお母さんとお話することが多いのですが、おとうさんの存在感もすごく重要です。と、いうことで今回はめずらしくおとうさんに向けた記事の登場でございます。さて、おとうさんとお話しする機会はなかなかないのですが、えふでは「美術を通した教育」を行っており、それは「美術教育」とは微妙に異なっています。一般に美術=のびのび、とか、にこにこ・いきいき・わくわくとかいう実態の伴わないイメージでくくられがちですが、えふでの場合は制作としてというより教育としての取り組みですから、ルール・枠といったものがあります。そのルールや枠を伝えるにはどんな方法があるでしょうね。現実的にどんなやりかたが望ましいと思われますか。
 校長はいろんな業種のすごい人と会う機会があるのですが、みなさんある種の「鈍さ」を持っています。鈍さというのが失礼なら、打たれ強さと言い換えてもいいです。すばらしく鋭いナイーブさと、打たれ強いある種の鈍感さ。それはいうなれば「ほっぺとかかと」のようなものなのです。で、実は校長、近年の子どものナイーブさがすごく心配なのです。足の裏までキズつきやすくなってると、はだしで歩いて行けないじゃん…ってね。子どもはどんどんナイーブになってきているので、たとえば昔と同じように叱ったりするのは難しくなっています。生まれたての子どもが感じやすいのは当たり前です。赤ちゃんのかかとなんかフニフニですけど、ワシらは残念ながらあの頃にはもう戻れない。しかしからだ中のどこもがほっぺみたいだと、まわりも自分もたいへんです。ナイーブさのために内向的になったり、逆に外に向かって怒りを感じたり。世の中にはけっこう自分のナイーブさに開きなおったり、弱さを売り物にしたりという例もあって、そういうのはまわりがたいへん困ります。しかし、ちかごろの子どものナイーブさの原因には、われわれ大人の「理解してあげる・理解してあげたい」という願望が根っこにあるような気がしてなりません。キズつけてしまうことを必要以上に恐れたり、ナイーブなままであることを要求していたり、なんて。
 ちょっと極端に言い切りますが、本質的にひとは他人のことを理解することができません。校長はそう思います。結局、自分の経験に照らし合わせ、仮定して想像することしかできないのです。オトナに「お前のことを分かっているよ」といわれて、嬉しかったり、助けられたりしましたか?時と場合によるとは思いますが、校長はそういったオトナの歩み寄りが苦手だったので、頑固に立ちはだかるか、常識に背を向けるかどちらかでいてほしいと思っていました(「飛ぶ教室」の正義先生と禁煙先生みたいに)。オトナになってしまったわれわれとしては、本質的に「わかりあえないこともある」と考えるべきではないでしょうか。美意識を含む価値観を伝えたり、枠を伝えたりという行為にはそういう相互の否定と肯定がありますし、教育は本質的に強制を内包しています。ある意味「大人は判ってくれない」でいいのだと思います。
 校長は、子どもがおとうさんのしごとを知らなかったりすると、ちょっとがっかりします。「子どもも判ってくれない」なんてね。子どものことを理解するという一方向だけを心配してしまいがちですが、おとうさんのがんばっていることや考えていることを「理解させる」ことも大切なのだと思います。校長は子どもと違う価値観で前に立ちはだかることを恐れずにいきたいのです。オトナが上から目線なのは当たり前。どうしても理由を伝えたり、ほめてから否定したりといったワザを使いたくなるものですが、ダメなものはダメ!という理不尽さを恐れると、オトナから元気が無くなるように思います。ならぬものはならぬもの。理屈じゃないんだという勢いも時に大切です。ちょっといやがられることも覚悟の上で、どぉーんといきましょう。