2009年1月 歴史から探る

 今まさにこの瞬間われわれはさまざまなものの移り変わりの中に生きています。この10年間くらいのあいだほど、何もかもが大きく変わった時代はないでしょう。極端に言えば、少し前の世代が30年くらいかけて対応してきたような変化を、現代の子どもたちはこの2〜3年くらいの中で「そういうもの」として受け止めているということでもあります。携帯電話・ネット環境・そして写真。例えば写真は、このところの何年かでほぼ完全にデジタルへと塗り変えられてしまいました。もちろん好きでフィルムカメラをお使いの方も多いのですが、日常的な勢力分布では圧倒的にデジタルカメラが優勢です。初期の頃はメディアの容量が少なかったり、読み込みが遅くてじりじりしたり…みたいなこともありましたが、すでに何百枚、何千枚というレベルで、検索や削除も自由自在になっています。36枚撮りとかの限定された概念はもう過去のものでしょう。使わなくなった高級なカメラがおうちにあるという方も多いのではないでしょうか。もし写真のような強烈な変化が他のジャンルのものに起こったとしたらどんな感じでしょう?馬に乗っていたひとが車や蒸気機関車を見たときの驚きはすごかったでしょうし、「まさか馬を使わなくなる時が来るなんて」なんて考えたのかもしれません。同じように化石燃料・映像配信とか教育制度・国境?変わらないものなんか無いのかもしれませんが、想像を越えて大きく変わっていったとしたら…校長はついていけるのだろうか?うーん。
 やはり変化は、圧倒的に便利・早く・単純な方向へと変わっていくもののようです。逆は思い浮かばないですね…例えば剣術は、ずっと昔は木刀などで練習していたそうです。ですが木刀でも骨が折れたり、はては命をおとしたりとたいへん危険で、革の袋で竹を包んだものなどの工夫を経て今の形になったのだそうです。実際これはすごい発明で、これによりたいへん効率よく、そして安全に剣術を学ぶことができるようになったということですが、刀の持つ刃物としての意味は失われていったのだそうです。「真剣にやれ!」なんていいますが、真剣ってもちろん本物の刀のことですから、気をつけないと簡単に自分の足を切ったりするそうです。そりゃあ本当に真剣にやることになりますね。
 さて物つくりのケースではこんな例が。陶芸家の方に最近伺った話なのですが、薪の炎を使っての焼き物は、それはそれは大変なのだそうです。何でもそうですが、便利な機械、便利な装置がないときの工夫ってすさまじいですよね。特に登り窯での焼き物は、話を聞いているだけでも信じられないくらい過酷です。余熱のように窯全体を少しずつあたためるのに一日半(!)、じっくりと温度を上げたらそこから攻め焚き(!)として何日も休みなく火を燃やす。薪の用意、ずっと作業を続けるための食事や休む場所の用意、仕事をする人の働く時間の計画まで…炎自体の強烈さは、「見ているとこころが落ち着く」だとか、「わくわくする」なんて感じるような生易しいものではありません。1000度から、目標の1300度へと温度を上げていくのは知恵と工夫と努力の集積です。ガスや電気の窯が便利になっている昨今ならなおさらで、実際に窯で炎を使った経験がある人の比率自体が下がってきているそうですし、またそうなってしまうともともとの概念である炎を使って焼き締める、ということに対しての理解の深さにどうしても違いが出てしまうのだそうです。もちろんガスや電気の窯のように便利な道具のおかげで、ある意味重労働から解放されて制作に専念できるようになったともいえるでしょうし、安定した温度管理により、品質のばらつきがなくなったことも想像できます。しかし経験から生まれた窯という技術の工夫は、やはり体験しないと分からないもののようです。かんたんになった分実力が伸びる、と言えないのが難しいところですね。
 教育でも近年のゆとり教育を押し進めた寺脇研というかたは現場経験のない法学部出身でしたし、教育を語る有識者会議などでも調べたかぎりでは経済界のかたがほとんどを占めています。みなさんそれぞれ自分の信じる「良い教育」について語っています。しかし、抽象的な話になったり雰囲気で発言しがちですが、学校の現場は次々に伝えられる哲学とか方針とかできゅうきゅうで、それよりも、今このタイミングで何を教えるべきなのか絶句している…なんていう悲鳴が聞こえてきます。 なにもかもが移り変わりとか変化とかの中で揺れ動いていますが、だからこそ「もともと」について具体的に考えることが重要なのだと思うのです。そして美術を学ぶ子どもたちには「もともとってなんだ?」という歴史的な目線を忘れずにいてほしいのです。『しゃしんのなぞ展』を開催するのはそんな理由からです。写真が大きな変化の真っ只中にあり、今まさに写真史が変わろうとしているこの時期にこそ、子どもたちに知ってほしいことなのです。