教育書、雑誌、テレビ…「じょうずな子どものほめ方」なる話題が多い今日このごろです。…ですがほめ方って…そんな方法論はあるはずがないのじゃないでしょうか!だいたいからしてほめてあげようとか、ほめて伸ばそうなんていう、上から目線が気になります。そもそもほめ方といっているその時点で、ホントはそうでもないけど、相手をいい気分にさせて自分の思うようにしたいというヨコシマな気持ちがすでに見え隠れ…していませんか?だいたい子どもって変なとこがめちゃめちゃセンシティブ。そういうヨコシマな気持ちをするどく見逃さなかったりします。それはみなさんがいちばんよくご存知でしょう。
子どもが一番うれしいのは、子どもも大人も関係ない同じ目線で「くうーっ」と認めざるを得ないほどすごいことを成し遂げた時ではないでしょうか。美術の場合なら、思わず大人もびびるような作品を作っちゃったときも、子どもたちにはその大人のびりびり感がよく伝わっているものです。しかし絵画、特に子どもの絵(+現代美術?)はどこをどうほめていいかがわからんというのが大多数の方の本音ではないでしょうか。最近のNHKの美術番組などでも、いわゆる専門家ではないタレントさんや女優・俳優さんなどに絵を見た時の印象を語らせる場面が多くなりましたが、校長が見ていても、大きくはずしたコメントを言わないように細心の注意を払いながら、それでいて専門家が触れないような気のきいたことを言おうと、なにかヒリヒリした収録の雰囲気を感じて、いたいたしさといいますかドキドキ感を感じることが多くなりました。正直、気が気じゃありません。しかし、そういう状態になることって…ありませんか?「子どもの絵にはほめるところが必ずあります」なんて本も出てるくらいですから、困惑している人も少なからずいらっしゃるんでしょうが…うーん、それってどうなんですか?心の底から言ってるんでしょうかね?やっぱりこれも少なからず上から目線…そう感じるのはワシだけでしょうか。
そもそも「子どもはほめて育てろ論」って、どこから始まったのでしょう。もちろんほめられて嬉しいのはあったり前。大人だってうれしいぞな、にんげんだもの。(©相田みつを?)でもとってつけたようなほめ方や、ほめときゃ伸びるだろう的な言い方では…まっすぐな人間性そのものが育たないのではないでしょうか?心理学者の河合隼雄先生の言い方をお借りすると、魂のぶつかり合いのような中でこそ、腑に落ちる、真の価値ある教育が生まれるように思えるのです。
校長は長年美術にどっぷり浸かっていますが、思わぬところでよい作品に出会うことがあります。それは巨匠といわれる人たちの作品であることもあれば、子どもの作品のこともあります。しかし極論すればどちらであってもそれほど変わらないのです。技術面では遥かに差があれど、むむむっと魂に響く「共感」であるのには違いがありません。専門的にいえば、やはり子どもにはそれぞれの発達過程があり、それなりに経験なくして得られないもの、同時に得た分だけ手放さねばならないものもあります。しかし子どもとしてのくくりではなく、こころの表現としての営みを見るだけでも、よいものにはやはりこころに響くものがあるのです。
しかし…そう聞くと、なおさら評価が難しく、自分たちの日常とかけ離れたものに思えますよね。まず好き嫌いに、本音で向き合うことから始めてみてはいかがでしょう。好き嫌いの情って、子ども大人を問わずすごく伝わりやすいと思うのです。そしてもうひとつ、子どもたちが描いた絵を、同じ経験をするつもりで、描いた順番だけをなぞるようにしてよく見ること。それだけでもずいぶん発見があるものです。
さて、えふではハンパにはほめません。…って書くとただ厳しいだけのようにも見えますが、逆なのです。自分にないものを見つけたら、その自分の発見に応じてしっかりほめる。つまり…あくまで自己中心的に「容赦なくほめるぞ」ってこと!子どもと接する大人として、それが最大限に相手を同格に認めることだと思うんです。子どもをほめることって、意外にそれ自体が目的化してしまいがちです。しかしそれは注意して避けなければいけないことだと思います。以前ニッポンをほめようキャンペーンというのがあったのですが、「このろくでもない日本をほめよう」「すでにほめてないよオマエ」(©爆笑問題)そんな感じになってしまいますものね。ほめることは義務ではないんですから、こころに響く部分があったら、素直にそのまま伝えたいものです。