2010年10月 どうなる?電子教科書

 ワシ的には小学校で電卓使わせるのは反対。電子辞書使うのは賛成。問題はラクチンの質、目的と手段だと思うのだ。工作だって、工具を使うことで飛躍的に仕上げが良くなる!その分危険も増えるんだがな。結局どこにねらいを持たせるかであろ。…なんて無責任にあれこれ考えてたのですが、そもそもこのところちまたで「電子教科書論争」というのが勃発しています。いわゆる電子書籍がいよいよポピュラーになろうとしている昨今ですが、電子端末を小中学生に配って電子教科書として利用する構想も本格化しつつあるようです。教員が電子黒板などの大型モニターに文字などを映す「指導用」はすでにある程度普及しているようですが、今回議論になっているのは生徒に1台ずつ配布する「学習者用」。電子化によって映像などを活用し学習効果が上がるとする見方がある一方、「人格形成にゆがみが生じる」などとする慎重論も根強くあります。論争とはこの対立(?)を指しているようです。
 政府は今年6月に、全生徒・児童に学習者用の端末を配布するという方針をすでに決めており、2011年度には一部の小中学校で活用の実証実験を始める方針とのことです。文科省ではその結果を踏まえ、20年までに全員に端末を配布したい考え。ですが民間(特にソフトバンクやマイクロソフト)は、さらに早く15年までに全国の小中学校に普及させたいと。そんな中で、識者から「待った」がかかっているのです。
 たとえば校長が尊敬する作家の柳田邦男氏は「学校教育のデジタル化は子どもの人格形成を阻害する」というお考えなのだそうです。ゲーム等の影響で親子や友達との接触が減っていることを念頭に「かけがえのない人間形成期の子どもたちが多くの時間を電子機器とばかり向き合う時代になった時、ゲーム感覚そのままに、自己中心で勝ち抜くことばかりを考える人間を生み出すことにならないか、今こそ教育現場で議論すべきだ」と主張されておられます。一方で校長が苦手なジャーナリストの田原総一朗氏もやはり反対論者なんだそうです。田原氏は現状の日本の教育について「正解のある問題を解くことしか教えない」と批判。「教育とはコミュニケーション能力や想像力を高めることです。電子教科書は検索で答えを引き出す事が出来、自己完結型になってしまう。今の教育のまま電子教科書を導入すると教育の欠陥が助長される事になってしまう」と、電子教科書を導入することの弊害を説いています。さらに、校長も愛用するiPadの電子教科書化を押しているソフトバンク(わしはアップルストア行きますが…)の孫正義社長の意見はこうです「少なくとも電子教科書で利益を上げるつもりは、皆無」とした上で「紙の手触りや鉛筆の匂いへのノスタルジーは、その時代に子供時代を過ごした人の感情として理解は出来るが電子教科書が人間形成を阻害というのは…」「辞書をめくる過程に何の付加価値が有るのか理解出来ない。教えて下さい」「ノートと鉛筆は否定しない。電子教科書でないと失う物多し。紙の教科書でないと失う物は何だろう」「革新的技術が生まれた時、保守派は足りない点を見て嘆き、革新派は優れた点を見て夢描く」などなど強く反論。うーむ。みなさんはどう思いますか?
 何年か後にこの新聞を読み返したときのことを想像して妙にソワソワする校長ですが、敢えてここにワシの意見も書いておこうと思います。基本的に校長は電子教科書賛成!便利は不便を駆逐してしまいますからね、柳田先生だって、紙と鉛筆だけで手紙を書いているわけじゃないはずです。ワシだって電子辞書に相当助けられてますしね。
 ただし、総括的な話もここに加えておきます。まず明治の大人の教養はすごかったんじゃないかと思うんです。漢文の読み下しとか、英書の読みこなしとか…日本はやはり戦争に負けてから、国としての生産性が落ちるように第二の戦争を仕掛けられた現実をしっかり見るべきだと思います。キツい言い方をすれば「二度と歯向かうことがないように」「徹底的にバカになるように」そういったあたりからちゃんと考える必要があるのでは?
 電子教科書の話で言っても、残念ながら電子デバイスで世の中のあらゆる知に触れることができるようになったとしても、子どもの知力・学力は上がらないでしょう。これは断言します。だって電卓を手にしても暗算が得意にはならないでしょう?同じように、絵の描き方をどれほど映像でわかりやすく見せても、描けるようになんかなりません。知識は思考能力とは違いますし、ましてや実践力とは決定的に違います。
 さらに心配なのが、いわゆる頭のいい大人たちが、子どもにやる気を出してもらおうと、電子教科書に小さなごほうびをあれこれ入れちゃうこと。細かく報償行為を与えられないと勉強しないようにしてしまうのは、教育のゲーム化、学校のネズミーランド化といいますか…校長は、人間の知に対する欲求というのは、もっと崇高なものであって欲しいと思います。
 不便や不快さも必要ですし、自分でやらない限りできるようにならない。教育とは見せること・調べることじゃなくて、やることやらせることの方が基礎にあると思います。