ロードアートを映画にする!永田琴監督に聞きました。

監督が「監督」になるまで。

校長 監督はもともと、どんな勉強をしてきたんですか。

監督 映画の勉強は、実は全然やってないんですよ。私は映画の世界に入った理由っていうのがめちゃくちゃ軽いきっかけで。ほんとはダンスの振り付け師をやりたかったんです。

校長 ほう!

監督 だけど、ダンスのキャリアがないもんだから、振り付け師になってもダンサーがついてこないんじゃないかという、現実的な問題が起きて…

校長 それはいくつくらいの時に?

監督 それ、もう大学生の時なので…23とか(笑)おそ!っていう感じなんですけど。その時にひらめいたのが、自分はダンスが好きなので「そうだ、ダンスを撮る側にまわればいいんだ!」っていう発想の転換になり、「よし!映像だ!」ってなったんですよ。

校長 へえ。

監督 それで、とある人に聞いてみたら、「そういう仕事は大阪にはないから東京行きなさい」って言われて。私、大阪出身で、絶対東京なんか行きたくない、大阪を離れないぞ!っていう大阪人独特の、大阪を愛する気持ちがすごく強かったんだけど…それ言われた瞬間に「はい、東京行きます」って。(笑)

校長 ははははは

監督 それで、東京に来たんです。紹介してもらったプロダクションに入って…いわゆる就職ですよね。私一浪して大学入ってるから、就職してすぐ24歳になって。それ震災の年ですけど。

校長 ああ、そうですか。

監督  神戸の震災で卒業が1ヶ月遅れその後上京し、就職し、最初はお茶汲み、お弁当発注みたいなことから始め…だから何にも勉強せずに全部現場で覚えたんです、私は。

校長 へえー!

監督  なんていうんですか、語学覚えたいならその国行った方がいいよ、みたいな。

校長 なるほど。

監督 映画の現場ってたくさん人がいるんですけど、みんなどうやってこの世界に入ってきたのか、疑問に思ったことがあったんです。ある時、篠田昇というカメラマンの助手をやってた女の子に、なんであなたはここにいるの?どうやってこの世界を目指したの?って聞いてみたら「私、映画学校なんですよね」って。私はその時点で、この世に映画を教える学校が存在していることすら知らなかったんです。「えええ!?映画のことを教える学校があるの!?」って、もう、カルチャーショック。

校長 ははははは!

監督  もうね、違う言語が存在した!くらいの衝撃で。その時点で、はじめて「私がいかに出遅れてるか」ってことに気づいた(笑)

校長 やっぱり就職する前に映画学校に何年か行って…ていうのが普通なんですか?

監督 ほとんどそうですね。その後、私はいろいろ調査しましたけど、私のような人はまずいなくて。高校卒業して、映画関係の学校に行くか、普通の大学行ってもその後、2年くらいの映画専門学校に行ったり、仕事する前にもう1回映画学校に行き直したり。そういうことをみんなしていて。

校長 琴さんは「学校」っていう選択が抜けちゃったのはどうしてなのかな。誰かに習おうとか思わなかったんですか?

監督 映画の学校っていう発想が、もう微塵もないから。そんなものが存在していることが(笑)。それでもう、いろんなことを現場で覚えさせてもらったっていう感じでしたけど。

校長 子どもの時からそういう感じだったんですか。

監督 今になって考えてみればですけど、その「ダンスの振り付け」って言っても、振りだけではなくて、舞台の構成もやりたかったんですよ。

校長 ああ、なるほど。

監督 だからどっちかっていうと、監督側のことがやりたかったんだなって。小さい時も、学芸会とかあると、自分で話を作って、いわゆる監督的なことをやってたんですよ。後で写真をみて思い出したんですけど…自分主演なんですけどね(笑)、話も作って、みんなを指示して。ああー、そういうことやってたな、って。だからたぶん小さい時からそういうケはあったんでしょうね。

校長 すごいなあ。

監督 それで、さらにもっとびっくりするのが、この世界に入った時も、まだ映画監督っていう仕事を知らなかったんですよ。

校長 ほんとに?!

監督 入った当初の私の欲望としては、ダンスの映像を撮ることだから、そのためにまずノウハウを覚えなきゃ!ってことですよね、映像を撮るための。純粋にそれだけだったんで、お茶汲みするし、運転するし…そうすることで何かわかるならそれでいい、ここで何か教われるならそれでいいやって思ってたんですよ。

校長 ふん、ふん

監督 それで、ある時撮影の現場でみんなの仕事を見ていて、「あ、私やりたいのはこの仕事だな」って思ったのが、『監督』だった(笑)。この人やってる仕事が私のやりたい仕事だわ!って。いつ監督目指したんですかっていう質問をよくされるんですけど、監督目指したことは一度もない(笑)きっかけは何だっけ?って考えてみたら、現場で「この仕事やりたい!」って思ったのが目指したことだったんだなと。純粋にそれをやりたいって思っただけなんですよ。

校長 うーん、それは稀少だ…なかなかいないだろうな。ところで、子供の頃に勉強は好きでした?

監督 あ、勉強は好きでした。

校長 デキる子だったの?

監督 たぶん、できる方だったと思います。それなりに。何でもまあまあいけましたね。でも数学の方が得意だった。文系じゃなくて。

校長 ほーう。たしかに、組み立てがちょっと、論理的ですよね。

監督 そうそう、そうかも。そうですね。

校長 性格は変わってないですか?

監督 うーん、昔の方がもっとこう…神経質だったところはあるかな。私、小さい時から自分のものは自分で選びたいっていう子だったんですよ。親に選んでもらうのとかがイヤで。整理整頓もすごい好きなんですよ。きっちりしないとイヤなんですね。でも親がたんすとかあっちこっちに物をしまうから、自分で把握しきれないじゃないですか。

校長 はい、はい。

監督 それで、小学校入った時に考えたのが、自分の持ってる服の絵を、全部描くという。上のカーディガンとかジャンバーとか、下の服とかもぜんぶ描いて、切り抜いて。さらに人形みたいな自分も作って、朝学校に行く前に着せ替え人形みたいに服を組み合わせて「今日はこれでいきます」って(笑)親に出してもらってました。

校長 データベースですね!

監督 (笑)それはかなりはっきり覚えてて。

校長 お父さん・お母さんはどんな人?

監督 父親は、設計士です。母親も建築系の学校出て、デザイン系でしたけど、車のデザインとかしてて、結婚して主婦になって。その後私が高校受験するときに一緒に受験勉強してインテリアコーディネイターの免許を取って、その後私が高校生くらいの頃はインテリアの会社で働いてましたね。

校長 兄弟はいるんですか?

監督 兄弟ね。兄、姉、私です。3人兄弟。

校長 へえー。おませさん?いや柳本さん みたい(笑)。所有物のデータベース化。

監督 そういう意味では確かに私、すごくませてたんだと思うんですよ。家の近所の子どもたちはみんな、バレエを習ってたんですね、姉も。でも私だけバレエ習えなかったんです。その理由が「半分パンツ見えたような格好で、なぜ人前に出れるんだろう」ってのが私には謎で(笑)。その後、チアリーダーとかやってたのでそういうのはなくなったんですけど、3歳か4歳くらいの時の私にはそのことが疑問で仕方なく。しまいにはそれが究極になりすぎて、スボンはくのもいやだったんですよ。スカートしか履きたくなかったんです。それはなぜならばズボンだとなんか、お尻の割れ目まで見えるんじゃないかっていう(笑)。

校長 妄想少女じゃないっすか、『妄想姉妹』(笑)

監督 そうそう、妄想姉妹なんですよ(笑)。歩いたら、なんかお尻のところにシワがいくじゃないですか。わかります?あのシワが耐えられなかった(笑)。こんなシワが見えるのに、何で人ははずかしげもなく歩けるんだろうって思ってたんですよ。

校長 す、すごいな。その辺になるとだんだんわかんなくなってきた。

監督 変わってたのか、小学校1年生の通信簿に「かなり感受性豊かな子です」って書かれてたんですよね。でもそれ意味わかんなくて「感受性が豊かって何やん?」って母親に聞いたりしてました。

監督に聞く、子どもの教育について

校長 子どもは、どうしたらいいでしょうね?自分の経験上どうですか?

監督 いやー、子どもねえ…。私、結局子どもって、自分の好きなように育つんじゃないかと思ってるから、自分は子どもいないですけど。みんな、性格って、生まれ持ってませんか?子どもって結局は。あとはよく「勉強しなくていい」とかそういうこと言われるけど、私は勉強が大事だなって意外と思ってます。それによって、考える力がつくじゃないですか。「自分で考える」っていう力がつくから、そういう勉強はした方がいいと思う。「自分で何かをやっていく」っていうこと。うん。私、それが一番大事かなって思ってますね。

校長 学校は大事ですか?その意味では。

監督 最近の学校、どんなことやってるのわかんないんですけど、私が経験した学校は、少なくてもまあ悪くはなかったかなーって。んー、自分次第なんだろうって思いますけどね。結局勉強って、今役立ってるかっていうと、さほどその知識自体は役立ってないんですけど、考え方に関しては役立ってると思います。「これをこうしたらこうなるだろう」っていう考え方は、何も習わないと、身についてないんじゃないかなって思ってたりして。そういう意味で勉強があるんだろうなと思います。

校長 なるほど。

監督 何ていうか…、教えてもらったことはこのくらいだけど、そこから派生する「これもああいうことかもしれない」みたいなことが、日々、あるんじゃないのかなと思ってるんですよ。

校長 琴さんは変わってますよね。あまりに独自の道を歩いてきてるでしょ。自分だけの道。他人と違うってこと、あるんですか、監督として。

監督 それはねえ、他の監督をじっくり見る機会がないので、そこまで詳しくわかんないんですけど、まあ…カメラマンとかには、変わってるよねと言われることはあります(笑)。でも何が変わってるのかよくわかんないから、「どこが?」って感じなんですけど。私は普通だと思ってやってるから、何が変わってるかはわかってないですね、正直なところ。

校長 子どもに対して、映画監督っていうのはこういう仕事なんですよって説明してもらっていいですか。

監督 私は何も知らずに入っちゃったから、その実体験からなんですが、簡単にいうと「映像で話す」っていうことだと思うんです。今、私たち日本語で話してますよね。それを、映像を使って、気持ちを伝えるっていう。例えば「好きですよ」とか、そういう言葉を使って…アメリカ人だったらI love youだし、フランス人だったらje t’aimeだけど、それを映像を使って伝えるという仕事だなって思ってるんですけど。ちょっと難しいですかね…映像の中には言葉があるから、二重構造みたいになってて難しいんですけど。でも昔の映画は音がなくて映像だけで進んでたことを考えると、極論をいうとそういうことかなって。セリフのない映画だってあるわけだから。そういう意味でいうと、映像でもって気持ちを伝える仕事だなって思っています。

校長 具体的に、映画監督は何をするのかとか、どんなこと考えてるのか教えてください。

監督 まず、おはなしを考えますよね。おはなしを考えて、まあそれを、どうやったら映像で表現できるかを考えて…そこの仕事ってたぶん、ほんとに通訳みたいなものだと思うんですよね。日本語を英語に通訳するひとっているじゃないですか。単純に通訳と言っても通訳の人がどれくらいわかってるかで、全然ちがう伝わり方します。それが映像にもあって、同じストーリーでも、監督によって全然ちがうものになるし、そこにいわゆる映画でいうグラマー、つまり文法があって、これを表現するのに、例えば「これの方がわかりやすい」とか、わかりやすい方法があるのにあえて隠語を使ってこういうふうに表現しようとか。どういう風に作れば、私が考えてることがどれくらい伝わって、かつ、伝わりすぎないのかとか、みんなにあとは考えてほしいからここまでくらいしか作りたくないとか、もしくは反対に全部伝わりたいんだよ!だからこまかく表現したいとか…そんなことを考えてる。

校長 その文法っていう意味では、すごく影響受けた人とか、リスペクトした人とか、いますか。

監督 いますいます、たくさん。もちろん助手でついていた岩井さんにもいろいろ影響受けてるし。でも正直いうと、岩井俊二監督ってのを知らずに岩井さんの下に入ったんです(笑)。

校長 まただ(笑)!それは偶然なんですか?

監督 私ほんと、何も知らないままこの世界に入ってるんで、ちょっと呆れられるくらいの存在なんですよね(笑)。あの、そういう意味では変わってるかも知れないです。だから岩井さんのアトリエの棚から岩井さんの作品を借りて見て覚えたんで。「あ、ちょっと今日これ貸してくださーい」って感じなんで(笑)、ちょっとちがう角度から見ると恥ずかしいやつ?なんですけど。でも変なフィルターがないので、純粋にいろんなこと覚えさせてもらえたのかなと。最初から「すごい人なんだ、すごい人なんだ」と思うと、その「すごい人」というフィルターにより、見えるものも見えないときがあるじゃないですか。「わー、私この人のこういうところ素晴らしいと思うな」って素直に接することができたので。なんかそういう意味ではまあ、良かった(笑)ということにしている。さっき勉強必要だといいながら、そこちょっと矛盾してるんですけどね。

校長 琴さんの考えてる「映画ってのはこうあるべき」ってのは?

監督 映画って、私は単純に表現手法のひとつだと思っています。音楽で気持ちを表現する人もいるけど、私は映像を使って表現したい人だから。最終的に何か、気持ちが伝わればそれでいいんじゃない?って思ってるけど、でもやっぱり私の中では、見る人の気持ちをハッピーにさせるものでありたいなと思う。気持ちを悪くするものもあるじゃないですか、映画って、何でもありなんだけど、私は人の気持ちを幸せにできるものをつくりたいなと思っています。

校長 えふでの子どもに対して、何かアドバイスありますか。例えば、小学校4年生とか5年生とかでもいいんですけど、そういう子にひとこと言ってあげられるとすると。

監督 まず何か興味をもったことや好きなことを、とことんやった方がいい。そして、それと、ちょっと矛盾するんですけど、いろんなことやものを、興味をもって、みる。自分で心閉ざすものに対して敢えて、興味をもつということも、大事ですね。なんていうんですか、興味あることは何もいわれなくてもほんとに一生懸命できると思うんですよ。それに関してはとことんやった方がいいと思うんだけど、「んん?」と思ってることに敢えて、興味をもって接することですごい見方変わるし、新しい窓が開くし、それで自分の生きていくなかでいろんな選択肢が増える。それは、大事なことだと。

校長 …うーん、すごいね。

監督 素朴に、私はいつもそう思ってやってるんですよ。何でも好奇心旺盛なタイプなんですけど、なんか、好奇心を持つことが一番大事だなっていう。興味ないことには突き進めないから。でも、興味ないことにどうやったら自分で興味持てるかの方法については…ちょっと難しいんですけど。

校長 …うーん、なかなかこうは言えない。すごいわ監督。

ロードアートを映画にする

校長 あと、絵ふでのロードアートについて、今までのを一通り見て頂いたと思うんですがどう思ですか?感想はありますか?

監督 単純に面白い。うん。すごいなあと思って。

校長 今年の『かめのなみだ』について、抱負とかはありますか。

監督 『かめのなみだ』は…今まではロードアートって、道に絵を描くことがロードアートだから、その中で進んでいるじゃないですか。今度はそれからちょっと離れて、映画との組み合わせ状態になる。正直言ってそれはロードアートの在り方として正しいのかどうか?っていうことが、私の中で疑問がちょっとだけあるんですね。だから前回の、みんなが作りながら変化していく、雨が降ってくる、鳥が飛んでく、その時間経過を撮っていくことはとてもロードアートだと思うんですよ。それを切り貼りして、私たちが言う所の「合成」みたいなことをすることが、果たしてロードアートとして正しいのか…まあ新しい試みという提案でもあるから、それをいかにロードアートの道というか、在り方から外れずに、映画的発想を組み合わせていけばいいのかっていうことが今回、私の中での課題なんですね。

校長 はい、はい。

監督 だけどぶっちゃけて言っちゃうと「切り貼りして自由にしてください」って言われたら、いくらでもできるわけですよ。例えば他の日に別のところ…モエレ沼公園とかに連れて行って、「あんた泣いてるところ撮るよ!」って言って、カメの甲羅かぶせて、顔だけ撮れば、なんでも成立するんですよね。映画の技法でいうと、そうなんですよ。最終的に、それを別な所で撮ってるっていうのがよくわからない感じに、感動できればいいわけなんで。いくらでもできるんです。でもそこまでしたら、ロードアートというフィールドから離れたものになるので、それは違うんじゃないかと思ってて。それならまだ、大塚いちおさんのイラストやアニメーションを間にはさんだ方が、フィールドとしては正しいですよね。その辺の、「映画」っていうことと、「ロードアート」っていうあるべき形を、なんかこう…お互いよい方向に、ジャマせずにできれば、私は素晴らしいんだろうなって…それが今の思いなんだけど。

校長 すごいねー…。うーん。素晴らしいわ、ほんとに。

監督 ほんとですか?(笑)

校長 うーん、すごい。

監督 何か始める時に「何で私がこれをやるんだろう?」っていうことは、いつも特に考えてます。物語を撮る時も。物語って、なんでもいいんです。ただ「私がやりたいのはなんだろう?」とか「やっていいことと悪いことってなんだろう」とか。そこを壊さないように、物語を作っていくんです。一番のテーマで言うと、今回は今言ったようなことなんだろうなって、思っています。
 
 

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